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2019-03-30

【 声楽アンサンブルコンテスト全国大会2019 】 福島市音楽堂 その3 審査結果


福島市音楽堂のステージには、プラカードを手にした各団の代表が並んでいた。NHKコンクールでの発表とは異なり、ステージ上ですべての団に賞状を手渡すときに賞の発表がある。



我々の代表としてステージに上がっているのは、大学のときの後輩 Jくんである。さぞや緊張していることだろう。

 

 

 

まずは7人の審査員が紹介される。今回、海外からはハビエル ブストー氏が招かれていた。上田真樹氏、岸信介氏をはじめ、そうそうたる顔ぶれだ。審査員を代表して山本啓之氏より講評があった。講評の中で一番印象に残っているのが、「自分たちのやりたい表現を、どのようにして聴く側にアピールできているか」ということ。



確かに心に残る演奏をしたアンサンブルは、声の素晴らしさはもちろんだが、曲全体の作り、ビジュアル的な並び方や動き、そして何よりもひとりひとりの「このステージで自分たちを表現したい」という思いが伝わるものだった。



演奏順に賞が発表された。前半は「優良賞」が続いた。全体の6割近くが優良賞となる。前半聴いた中でも素晴らしいと感じた「ばちコラ」の代表がステージ中央に立つ。「ゴールド!」という声が響いた。歓声が上がる。



私のような素人の耳でも、素晴らしいと思えたところはやはり素晴らしかったようだ。「優良賞」「銅賞」「銀賞」を繰り返しながら発表は進む。22番目。「みち銀男声」の発表だ。Jくんがステージ中央に立つ。



「みちのく銀行男声合唱団。銅賞!」

微かに描いていた「金賞!」という響きはなかった。「残念…」という思いと「なんとか入賞できた」という思いがごちゃ混ぜになった。

「一般の部」で金賞第1位となったのは、中高生で構成された「Smile♪」という若々しい女声合唱団だった。演奏は日本のわらべ歌などをモチーフにしたものだったが、とても難度の高いハーモニーを瑞々しい声で見事に表現していた。歩いたり振りを付けながら歌うというパフォーマンスも素晴らしく、私は涙を流しながら聴いていた。

合唱コンクールとは一味違う【声楽アンサンブル】の奥深さを感じる1日となった。自分的に、今回の「みち銀男声」の演奏は、これまで以上に素晴らしい男声合唱だったと確信している。

夜は市内の居酒屋で打ち上げをした。銅賞を喜ぶ者、残念がる者、演奏を讃えあう者、それぞれではあるが、誰もがやり終えた達成感に満ちたいい顔をしていた。

再び余談だが、大輔くんはこの日も打ち上げの後に、例の餃子屋に行ったらしい。さすがだ。

………………………………………………..

翌朝、すでに演奏はないのだが、早く起きなければならなかった。私たちの【アンコン】は終わったが、金賞を獲得した団体にとってはこの日曜日が本番なのだ。

「中学校の部」「高校の部」「一般の部」で金賞を獲得した各5団体が、部の垣根を越え全体で競い合う「本選」が本日行われるのである。

残念ながら「本選」に進めなかった私たちは、「本選」での演奏を聴くために当日券を手に入れなければならなかった。私たちは朝7時に音楽堂へ向かった。会場に着くとすでに20人近くの人が並んでいた。皆、用意したイスに座り、毛布を巻いていた。3月も後半だというのに雪が舞っていたのだ。

当日券の販売は9時かららしい。この雪の舞う中、2時間も待たなければならなかった。老体には少々きつい待ち時間だったが、まあこれも思い出となろう。

無事に当日券をゲットし、我々は会場に入った。私はステージが正面に見える一番後方の高い席に座った。二日続けての寝不足。果たしてまともに演奏が聴けるのか自信はなかったが、それは杞憂に終わった。

120以上もの団体から選ばれた金賞アンサンブルの演奏は、どれも完成度が高く、表現に富み、居眠りをする間を与えてくれなかった。

ひとつひとつの団体を評価する耳は持ち合わせていないので、ここでの講評は遠慮したいと思うが、全体を聴いて驚いたのが中学生、高校生の演奏のレベルの高さだった。

通常であれば、「一般の部」の大人の声の方が一枚上手という感覚がある。しかし「本選」でBest5に入った「郡山五中」「郡山高校」「不来方高校」の演奏は、大人たちの演奏をはるかに凌駕するものだった。

「不来方高校」が演奏した「プーランク」は、自分も大学の時に歌ったが、とても比べ物にならないレベルの高い演奏だった。しかも16人で。

「郡山高校」のソロを歌ったブラヴォなバリトン。そしてそれを支える重低音のベース。大人でもあれだけの厚い低音を鳴らすベースはいない。

確かに「一般の部」の大人たちに比べれば、日頃の練習量は比べ物にならないくらい充実しているだろうが、そういった背景なども全く感じさせず、とにかく演奏そのものに感動することができた。若い彼らの演奏を聴けたということだけでも、この福島に来た意味があった。

私たちは、予定していた新幹線よりも早い新幹線で帰ることにした。時間を変更したため、皆バラバラの席に座った。皆それぞれに今回の【アンコン】をふりかえっているだろう。

風が強かったために、新幹線は少し遅れて新青森駅に着いた。奥羽本線に乗り換えるのは私一人だった。すでに列車がホームに入り待機していた。



急がなければならなかったが、私はT野さんに挨拶をしようとエスカレーターを下りたところで待っていた。一番最後に下りてきたT野さんに向かって、私は手を振った。「お疲れ様」というよりも「今回は誘ってくださってありがとうございました」という気持ちで手を振った。

 

コンクールで金賞を受賞したときのカップで、ビールを一気飲みさせるT野先輩と半分でギブアップした俺。1985年。

 

T野さん、いやT野先輩は「また一緒に歌うべし」  そんな顔をして手を振っていた。

 


 


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