夏休みの思い出 〜令和元年の夏〜
令和元年夏。
弘前のねぷた祭りの開幕とともに、暑すぎる8月が始まった。
毎日の部活と熱すぎたコンクールでの金賞受賞。
そしてお盆。さらにこのお盆の最中での再度のコンクール。
残りわずかの夏休みで、娘はなんとか宿題をやり終えた。
ふと気がつくと、夕方に流れる風は、いつしか秋のそれになっていた。知らぬ間に、あの暑すぎた夏が過ぎ去ろうとしている。
あまりにも早く過ぎ去った今年の夏。はたして娘にとっては思い出の夏となったであろうか。
津軽に生まれ育った子どもたちにとって夏休みといえば、やはり「ねぶた」や「ねぷた」祭。観るのも良し、引っ張るのも良し。
そして、お盆にはお寺やお墓のある田舎に帰って、親戚たちと久しぶりに会って遊ぶのも楽しみ。
私たちの時代のお盆と言えば高校野球。小さい頃は、鰺ヶ沢の本家に行くと同年代の従兄弟が大集合し、親戚一同で高校野球を観たものだった。
ここ十数年ほど、自分的には高校野球を観なくなっていたが、今年は甲子園出場を果たせなかった大船渡高校の佐々木投手のことが大きな話題となり、結果的に高校野球が注目された年になったように思う。
きっと高校球児たち、そして多くの運動部で頑張る若者たちにとっては、お祭りも田舎への旅行もすべて返上の夏休みであっただろう。
いや、運動部だけではない。吹奏楽や娘のように合唱部で頑張る子どもたちも、この暑い中で汗をかきながら必死に頑張ったことだろう。
自分の子どもの頃を思い返してみても、夏休みに家族と旅行に出かけた記憶はほとんどない。実際、どこへも行かなかったのか、それとも忘れてしまったのか…さえわからない。
記憶に残っているといえば、針金と半紙を使って作ったミニチュアのねぶた作り、鰺ヶ沢の海水浴場で遠くの跳び台まで必死に泳いだこと、山の中にクワガタを捕りに行ったこと。
毎年、同じようなことを繰り返していた。その繰り返しが、確かな記憶となり残っている。
暑かった今年の夏。はたして娘にとっては思い出の夏となったであろうか。
特別、遠くに旅行したわけでもない。そういえば、一緒に「いわて子どもの森」に行ったが、休園日だったという大失態もやらかした。
少しだけねぷたも観たし、鰺ヶ沢へとんぼ返りでお墓参りもしてきた。
でもきっと記憶に残るのは、毎日の部活練習とコンクールでのステージだろう。
ただ、それが必ずしも楽しかった思い出として残るとは限らない。もしかしたらしばらくの間は、つらい思い出、悔しい思い出として残る子もいるかもしれない。
私自身にとっては、同じコンクールに一緒に出場できたということ。それはとても大切な思い出となった。
いつか、娘が大人になったとき、数ある夏の思い出の中に、そのことを憶えていてくれたら嬉しいのだけれど。
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