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2019-11-06

【 2020 東京オリンピック 】


 

娘のコンクールの引率も落ち着いてきたので、ここ2週間は久しぶりにロードバイクでツーリングをした。十和田湖や嶽界隈などを走り、ご当地のラーメンや温泉のネタも書いた。

実は、まだ書ききれてなくて、そのうちに内容も忘れてしまいそうだ。しかし、忘れたところでそれは大した問題でもなく、書きたくなったらまた行けばいいし、記憶を辿ってそのときの気分で書いてもいい。誰も咎めはしない。

 

ここ1ヶ月ほど、世の中ではいろんなことが起こっていて、その度に何か思うこともあり、そのことについて何か書こうとするのだが、どうもうまく文章にできない。

仮に文章にできたとしても、公(つまりはSNSとか)にするほど中身のある内容は書くことができない。というよりも、簡単に言えば人前に晒す勇気がないのだ。

でも自分なりには考えている。

台風被害や洪水被害が立て続けに起こっていること。

神戸の小学校で教員による教員へのいじめがあったこと。

沖縄の首里城が全焼してしまったこと。

東京オリンピックのマラソンの開催地が札幌に変更になったこと。

時事ネタという安直な言葉では、とても片付けることのできない出来事が立て続けに起こっていて、その度に自分なりに考えることは多い。だが、それを誰かと語ったり、意見をぶつけ合ったり、ということはなかった。

台風による被災者へ向けての支援。教育現場での支援。消失した遺産への支援。そして大きな金が動くオリンピック。

どれを語るにも「政治とお金」抜きには語れない。そして、それぞれに対する支援やお金の使い道も、国民ひとりひとりの考えは違うはずだ。

いろいろな考えを持つことは大切だ。無関心は良くない。だが、その考えを発信するとなるとその難しさを痛感する人は多いと思う。

インターネットの発達した今の世では、誰もが簡単に発信できるが故、それだけ問題も多発する。youtubeのように、広告収入に頼るビジネスに至っては、わざと炎上するような投稿を目論む輩もいるらしい。

商売をしている人間(自分もそうだが)にとって、SNSなどで自分の考えを発信するのはそれなりにリスクと覚悟が必要だ。そうなると「とりあえず言わないでおいたほうが無難」という意識が働いてしまう。口もペンも重くなってしまうのだ。

自身の日記とはいえ、いい歳をしたオッさんが日々書いている以上は、チャリンコやラーメンの話だけでは自分自身がつまらない。というわけで、たまには思いつくままに書いてみる。

 

10年前に東北を中心とした大震災があったが、その後も日本各地で地震や台風による災害が頻発している。その度に、多くの人によるボランティアや寄付、基金など、復興のためのいろいろな支援が必要とされてきた。

そうした災害とはまったく別に、ワールドカップやオリンピックなどのスポーツイベント。そして先頃すったもんだがあった愛知トリエンナーレのような文化イベント。などなどが日々話題となっている。

まったく別にと書いたが、復興をさらに活性化させるためにという名目で、こういった多くのイベントも企画、誘致されている側面もあるだろう。

 

今、世間で騒がれているのが、東京オリンピックにおける「マラソン・競歩の札幌開催」についてだ。

「暑すぎる東京でマラソンをするのは危険すぎる」とか「300億をかけてコースを整備したのに」とか「アメリカでの放映を考えればこの時期でなければならない」とか、いろんな要素が魑魅魍魎のようにうごめいて、開催地変更の真相はよく見えてこない。

私自身は、東京でやろうが札幌でやろうが、どちらでも構わない。もちろんマラソンという競技が嫌いなわけではない(自分は長距離はメチャ苦手だったけど)。

小さい頃からスポーツは大好きだった。海外で開催されるオリンピックや世界選手権はだいたいが夜中の放映だったので、2時、3時までも夢中になってテレビ中継を観たものだった。

 

1964年東京オリンピックポスター。亀倉雄策によるデザイン。

 

でもなんか、ぼや〜っと思うのだけど。今の日本でオリンピックを開催すること、それってどうなんだろう?と。

オリンピックを開催するのは莫大な金がかかるけど、競技場の建設や設備投資で経済が活性化するのかもしれない。海外からも多くの人が来日して、かかった経費以上に収益があるのかもしれない。

でも、その潤ったお金って被災者たちの生活に何かしら還元されるのだろうか。結局のところ、政治家や大企業の懐に入るのが大半な気もするし。

それならば、最初に使えるお金を、未だに震災で苦しんでいる人々や、毎年のように起こる災害で大変な目に遭っている人々に還元した方がいいのではないだろうか。

いや、災害で苦しむ人だけでなくて、毎日を必死に暮らしている一般の人々がもう少し余裕を持って暮らせるような生活のためのお金の使い方。

そういうことを考えた方がいいんじゃないだろうか。

など、子どもでも考えそうなことをぼんやりと考えたりもする。当然のことながら、政治家たちは、「そのことを一番に考えて政策を練っているのだよ」と言う。頭の悪い自分にはよくわからない。

 

1964年に東京でオリンピックが開催されてから半世紀上が過ぎた。そろそろ東京で行われてもいいタイミングだろう。しかし、私たちは大きすぎる、そして悲しすぎる災害を経験した。

東日本大震災があった後「私たちは、オリンピックの開催地の競争からは降りることにしました」と、言えたら、「おお!日本、かっこいいじゃん!」と思ったかもしれない。いや、「かっこわりーよ」という人の方が多いのか。

東京でのオリンピック開催はとっくの昔に決まったことだ。後出しジャンケンみたいなことを言うのは、カッコ悪いのはわかっている。

矛盾するけど、新国立競技場はザハのようなデザインが良かったなあ。費用はとんでもない額だったけど。世の中もワの頭の中も矛盾だらけ。

 

1年生のとき。スポーツは全然だけど「eスポーツ」はイケるかも(笑)

 

安ワイン飲みながら、グダグダ書いでまった。たまには、エべ。

 

 

 


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