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2019-09-21

遠い記憶 / 【 第1回 鰺ヶ沢写真クラブ展 】


 

9月13日〜15日、鰺ヶ沢拠点館にて【 第1回 鰺ヶ沢写真クラブ展 】が開催された。

鰺ヶ沢拠点館にて

4月12日のブログでも書いていたが、弘前在住の自分もこのクラブのメンバーとなっている。( →「鰺ヶ沢の海」

このクラブを設立したのは、高校の音楽部のときの先輩、加藤先輩である。先輩からポスターの制作と展示のレイアウト案を依頼された。

弘前で何度か写真展の運営に参加したことはあるが、やはり初めてのメンバーと初めての開催場所となると、わからないことも多い。

とくに会場となる「日本海拠点館」は、建物そのものの規模が大きく(大きすぎたため、無用の長物と揶揄されていた時期もあるらしい)、展示の規模感がまるで掴めなかった。

確かに完成当初は、西海岸のまさに「拠点」として多いに期待されたようだ。私自身もこの町の出身者として「鰺ヶ沢ってすげえなあ〜」と思ったものだが、「でもこんな小さな町がこんなデカい規模の施設を運営できるのだろうか?」と思ったことも事実だった。

「街興しをしよう」「新たな観光客を呼び込もう」と、この20〜30年の間、各市町村が躍起になり、青森県内の各地にもいろいろな施設が建てられた。が、今現在でもスムーズに運営されている施設は数少ないように思う。

数年前までは、鰺ヶ沢に帰るたびに廃れていく「拠点館」を目にすると、自分の生まれ育った町が寂れていくような思いがしていた。弘前や五所川原方面から車を走らせれば、最初に目に入る巨大な公共施設だから、なおさらである。

その「拠点館」で、鰺ヶ沢写真クラブの最初の「写真展」を開催する。

現在は、公民館的な施設として町の文化事業などに「どんどんこの施設を使っていこう」という動きが出てきたらしい。

 

「鰺ヶ沢写真クラブ」は、地元のアマチュア写真家の人たちが集まって結成されたクラブ。もちろん、プロはいない。

それでも、「第1回」ということもあり、加藤先輩は「なんとかいい写真展にしたい」という強い思いを持っていたようだ。

津軽地区には、五所川原や鶴田などをはじめ多くの写真クラブがあり、活動も盛んらしい。地区ごとの交流も結構あるらしく、いろんな地区から観覧に来てくださる写真好きの方々も多いのだろう。

 

「鰺ヶ沢拠点館」の活性化利用。そして「第1回」の写真展。加藤先輩の意気込みに押されるように、私もポスター制作やレイアウト案、BGMの選曲と、頭を悩ませた。

そして「はたして、自身は何を出品したらいいのだろうか?」

 

8月初旬から9月中旬にかけて、娘のコンクールのための引率や指導と、自分の休みはほとんど娘の部活に費やしていた。もはや、写真展のために写真を撮る時間はなかった。

たまたま、お盆に帰った時、昔の実家があった辺りを散策すると、山海荘の本館が更地になっていた。更地になって、川の向こうにある岩谷(イワヤ)という集落が丸見えになっていた。

自分が小さい頃、恐々と歩いたコンクリートの塀だけが残っていた。私は、一緒に行った娘をその塀に座らせて写真を撮った。

その写真を出品することにした。

 

遠い記憶 / 旧山海荘本館跡地より岩谷集落を望む

 

弘前に住む自分だからこそ、自分が感じる「鰺ヶ沢の写真」を出品することにしよう、と思った。

 

春先に鰺ヶ沢に来たときに、たまたま「鰺ヶ沢第一中学校」の前を通った。鰺ヶ沢の中学校は、数年前に統合され、この私が通った校舎はとっくの昔に廃墟になっていた。

そして通りかかったこの日、校舎の半分は解体され、スケルトンになっていた。私は、思わず車の中にあったカメラを取り出した。

山海荘同様、この建物も現在はすでになく、更地となっている。

 

遠い記憶 / 旧鰺ヶ沢第一中学校

 

私にとって「鰺ヶ沢」はノスタルジーである。それは、決して良いものばかりではない。もしかしたら、すでに存在しないモノに惹かれるのかもしれない。

故に、写真そのものは決して美しいものではなく、まったく観光向けではない。活性化をひとつの目標に掲げる「拠点館」には、ふさわしい写真とはいえないだろう。

でも「鰺ヶ沢」という町には、良くも悪くも正直な自分でいたいと思う。

 

土曜日。娘の部活が終わった後、鰺ヶ沢に向かって車を走らせた。

 

 


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