ツール・ド・ツガル / 津軽平野 〜 十三湖
東は八甲田、西は鰺ヶ沢、南は秋田県小坂。今シーズン、まだ北は走れていない。よし、十三湖へ行こう。行き先に迷いはない。しかし出発地点はどうする?
今シーズンでは走れるのはあとわずかだ。夏から続けてきた温泉ツーリング。延々と広がる津軽平野に温泉はあるのだろうか。
調べてみて驚いた。木造や森田にはたくさんの温泉があった。ただ岩木山や八甲田山にある温泉に比べると、銭湯的要素を持つ温泉が多い。
よし、どうせなら津軽平野のど真ん中にある「稲垣温泉」に行ってみよう。いつものようにロードと風呂道具を車に積み込み、弘前を出発した。
十三湖へ北上する道はいくつかある。岩木川東側を北上し金木を経由する米マイロード。そして森田から菰槌、車力を経由する西海岸側の道。この二つが、主にサイクリストが走るルートだ。
稲垣温泉は、その両ルートの中間にあった。グーグルマップを見ると、稲垣温泉から真っ直ぐ北上する道があった。車でも走ったことのない道だ。私は迷うことなく、その道を走ることにした。
走ったことのない道というのは、多少の不安もあるが、平野を北上するだけの道だ。そんなに不安を抱くことはない。
北へ北へと続く真っ直ぐな道。初めてながらも、なにか懐かしさを感じる道をひたすら漕ぎ続けた。
右も左も、そして正面も延々と広がる津軽平野。遥か向こうに権現崎が見える。
通り過ぎる集落のバス停を見て、高校時代の記憶が蘇る。五所川原高校時代、「私は〇〇出身です」と言われても、どの辺なのかよくわからなかった地名。40年後の今になって知る。
自分自身、鰺ヶ沢から五所川原に通うジャイゴワラシだった。五所川原出身の友はみな都会の人間に見えた。いや、木造や鶴田など五所川原近辺の出身の友もみな垢抜けて見えた。入学したときから卒業するまでコンプレックスの塊だった。
そんな自分だったから、卒業してからは、高校時代の友達とは少しばかり疎遠になった。しかしこの歳になり、数人であるけれど、高校時代の友との再会があったり、SNSを通じて連絡のやりとりもあった。時代の進化とは素晴らしい。
いつもであれば、娘の合唱部で指導している歌を歌いながら走る自分だったが、この日は何を思ったか、五所川原高校の校歌を歌いながら走っていた。
みちのおく 津軽のさとの
水清き岩木の川べ
閑古鳥しば啼くところ
懐し五所川原 我ら集へり
良き師 良き友
敬愛の腕(かいな)固く組み
いざ いざ いざ いざや行かむ
若人我ら
音楽部に所属していた自分は、低音部もしっかりと覚えていた。それにしても「閑古鳥しば啼くところ」って、妙に鄙びたイメージがあったが、今思えばなんとも趣のある歌詞だ。
視線の先に白い羽がたくさん見えてきた。十三湖の周りに立つ風力発電の巨大なプロペラ群だ。
岩木川は次第に広くなり、湖と区別がつかないくらいになり、やがて十三湖へと注がれる。
十三湖を右手に見ながら走り続け、十三湖大橋を渡ると、中の島へ渡る遊歩道橋が見えてきた。本日の往路のゴールはここにしよう。
遊歩道橋の中央あたりまでロードを引きながら進むと、湖の向こうに岩木山が小さく、美しくそびえ立っていた。
ほんの少しの時間だけこの景色を眺め、そして、すぐ帰路に着いた。
いつものツーリングであれば、復路は別のルートを走る。しかし、今日は初めて走る道だったので、同じルートで帰ることにした。左右の景色は往路と同じだが、正面に見える風景は違う。
左手に見えていた十三湖が視界から消えると、延々と続く真っ直ぐな道が再び現れる。そしてその遥か先には、三角形の津軽富士があった。
決して絶景ではない津軽平野だが、どこまでも広がる田畑の向こうに、三角錐状の津軽富士を見ることのできる景色。
西北五に生まれ育った人間にとっては、これ以上ない絶景である。
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