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2020-01-11

1972年頃の曲 『喝采』


 

ここ数日、寝不足が続いている。

理由ははっきりしている。YouTubeで昔の音楽を聴いているからだ。

 

楽しい夜を過ごすと次の日がツラい歳になった

 

私の年代は、音楽を耳にする機会というのは限られていたので、誰もが同じような音楽遍歴を持っている。

 

生まれてからしばらくは、母親の子守唄。

幼稚園や小学生の頃は、ほとんどがテレビ。歌謡曲番組もたくさんあったし、CMから流れる音楽は耳に残った。

西城秀樹や沢田研二の歌がかっこよくて、スキーのストックをスタンドマイク代わりにして歌っていたのは憶えている。

また、多くの家庭にあった大きなステレオ。うちにもあった。そのステレオで聴いた童謡曲集レコード。『赤い靴』と『みかんの花咲く丘』が記憶に残っている。それにしても昔の童謡は、何故あのような怖い発声なのだろう。

 

中学生になって、ラジカセとフォークギターを買ってもらった。そこで初めて自ら音楽に触れ始めたという気がする。聴く音楽は、歌謡曲からフォークへと変化していった。

フォークギターで弾き語りをしたのは、なんといってもかぐや姫。『神田川』はもちろん、『妹』や『加茂の流れに』はかなり忠実にコピーした。

しかし、次々に出るレコードを買えるわけはなく、友達からテープを借り、それを録音するのが精一杯だった。

 

高校・大学あたりになると、音楽の好みはさらに「ニューミュージック」へと変わる。そのジャンルに通じた友達にダビングしてもらったカセットテープを擦り切れるくらい聴きまくった。

 

 

 

あれから何十年も経ち、音楽を聴くツールはCDに変わり、ネット配信に変わった。段ボールの中に入っている古いカセットテープは、価値のない骨董品となった。

しかし技術の進化した現在。当時の音源そのものをYouTubeというツールで聴くことができる。音源だけでない。当時のライブの映像も目にすることができる。そんな時代になった。

 

寝不足になりながら聴いているうちに、ふと気づくことがあった。自分自身が自ら(いい曲だなあ)と思い始めのは、1972年から73年にリリースされた曲に多いのだ。

かぐや姫の『神田川』、井上陽水の『心もよう』がそれだった。日産スカイラインのCMで流れたBUZZの『ケンとメリー〜愛と風のように〜』も印象に残っている。

そんなフォークに比べ歌謡曲は、テレビから流れてくる曲として耳にしてはいたが、自らは聴かなかったし、ましてテープに録音までして聴くことはなかった。

 

そうであるのに、最近、何故か繰り返し聴いている歌謡曲があった。

ちあきなおみの『喝采』

1972年の秋にリリースされ、同年の「第14回日本レコード大賞」を受賞した。発売からわずか3ヶ月での大賞受賞は、当時の最短記録だった。

その年は、圧倒的なレコード売り上げを誇った『瀬戸の花嫁』が大本命と言われていたが、それを覆しての受賞は、日本レコード大賞史上に残る大どんでん返しと言われているらしい。

 

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いつものように幕が開き

恋の歌うたうわたしに 届いた報らせは 

黒いふちどりがありました

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なんといっても、曲の始まりのこの歌詞に尽きる。

当時10歳だった自分にはよく意味はわからなかったが、何かぞわぞわとするものを感じたように記憶している。

聴く人を歌詞の世界に引き込む彼女の表現力は、まるで一本の映画を観たような気持ちになる。そして、この曲に『喝采』というタイトルをつけた感性も素晴らしい。

 

 

こうして年月を経て、いろんな音楽を聴いてみると、歌謡曲や演歌、フォークやロックと、ジャンルはたくさんあれど、そこに境界線はないように思える。

当時10歳だった幼い自分が聴いていた1972年。歌っていたちあきなおみは、25歳だった。

 

当時の彼女の、すでに倍以上を生きている自分が、今またこうして、この歌を聴いている。

今夜もワインを飲みながら、聴いている。

 

 


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