toggle
2020-02-04

35年ぶりに大学時代の仲間と再会ス


 

2020年の年が明けてまもなく、大学時代の後輩、陣場くんからメッセージが届いた。

「八戸に在住している『ヒロコン』の私達世代で集まろうと思います。よかったら、ぜひ参加してください」

……………………………………………………………..

2月最初の土曜日、私は仕事を兼ねて八戸を訪れた。18時半頃まで仕事をして、六日町にある「七味家」という店に向かった。自分の店から歩いても5分足らずのところにある。

「七味家」に向かう途中にあるホテルで、M先輩と合流。M先輩は、娘のNHKコンクール東北大会で何度もお世話になった仙台在住の先輩。今回のことをメッセージしたら喜んで仙台から駆けつけてくれたのだ。

「七味家」に着くと、すでに数人がテーブルを囲んでいた。一瞬、ほんの一瞬だけ(誰だっけ?)と思う人もいたが、すぐに記憶が蘇る。私とM先輩も席について、仲間が来るのを待った。

次々と懐かしい顔が集まってくる。何人かは卒業以来の再会だ。

 

『弘混(ヒロコン)』は、弘前大学混声合唱団の略称、いや、我々にとっては愛称であり、何十年もの間そのように呼ばれ親しまれている。

我々が在籍していた頃は、団員数が最も多い時代で、特に私の学年は20人近くもいた。その分、変なヤツも多かった。

練習が終われば、大学正門前の喫茶「MON」で珈琲を飲み、アパートに帰った後は「寒沢浴場」で湯船に浸かりながらハーモニーを響かせ、風呂上がりは誰かの部屋でサントリーホワイトを飲みながら「メンタンピンドラドラ!」と朝まで打つ。

アカデミックなサークル名とは裏腹な、不良でキャラの濃い人間が集まっていた。

それを物語るように、今回「七味家」に集まったのは、私の二つ上の先輩、一つ上の先輩、同期、一つ下の後輩、二つ下の後輩、と見事なバランスだ。

 

大学時代。T野さん、ササさん、ヨシキ、ヨコエ。ヨコエ、次回は弘前でやるから来てね!

 

備忘録として、メンツを記しておこう。

二つ上の先輩:T野さん(度々ブログに登場する、みちのく銀行男声合唱団指揮者)、リハさん(某有名進学校校長!スゴイ!なんと中学、高校からの先輩)、M先輩(M先輩=マリさんは、仙台在住。コンクールでいつもお世話になっています!)、チエコさん(親友ヨシキの奥様。ハイトーンボイス健在!

一つ上の先輩:ササさん(八戸の開業医。大学時代はゴキブリ多発のアパートに一緒に住んでいた。三日月アゴは今も健在!)

同期:ヨシキ(いまや校長!スゴイ!最も仲の良かった友達)、ナルミ(高校時代からの友。指揮もするがホームランバッターでもあるのだ!)、テツコ(ササさん奥様。よく私とコンビを組んで、演奏旅行の司会をした名アルト!)、そして私。

一つ下の後輩:陣場くん(これは彼の出身地名であって、本名は違う。今回の幹事役。誰からも好かれるナイスガイ)、シンさん(彼も仙台から駆けつけてくれた。すばらしい声の持ち主の名バリトン)、ミカミくん(当時から渋かったけど、現在も渋い。でも飲んでみたらオモシロかった)、アキちゃん(喫茶「MON」の娘さん。ママさんにそっくりになっていてビックリ!)

二つ下の後輩:ゴトウ(八戸で教頭をやってる。みんなスゴイ!彼は全く変わっていなかった笑!)

 

こんなかんじで、合計14人の懐かしい顔が集まった。

 

弘前にあった大学であるが、なぜか八戸在住の仲間が多い。今回、弘前から駆けつけたのは私一人だった。

50周年記念の定期演奏会のとき、久しぶりに顔を合わせた仲間もいたが、シンさんやミカミくんは卒業以来だったと思う。

歌を歌い続けていると、コンクールや演奏会で顔を合わせることがあるけれど、誰もが歌い続けているわけではない。家庭や仕事、いろいろな事情もあるだろう。

しかし、子供も成人し(私はまだまだだけど)、定年も近づきつつある今、こうして集まるのはいいタイミングだった。幹事を率先してやってくれた陣場くんには本当に感謝である。

 

「七味家」は、「エビの変わり揚げ」など美味しいメニューがたくさんあって、八戸に来たら一度は訪れたいと思っていたお店。陣場くんが「八戸を味を堪能していただきたい」と段取りしてくれたのだ。いや、まんずいいヤヅだ、陣場は。

ただ、みんなとの積もる話がオモシロすぎて、目の前にある美味しい料理の写真を撮るのをすっかり忘れていた。でも、料理はホントに美味しかったよ、陣場!^^

 

二次会で一杯だけ飲んで、速攻でカラオケへ。

それにしても、みんな歌が上手い。合唱で歌の上手い人が、必ずしもカラオケが上手いとは限らないのだが、やっぱりみんな上手かった。

ヨシキの沢田研二は昔のままだったし、シンさんの「少年時代」も昔と変わらぬ甘い声!チエコさんとマリさんのダブルソプラノはなかなか聴けない貴重なユニットだ。

そしてなんといっても、ナルミの吉幾三は完璧だった。昔から吉幾三を歌うのが上手かったけど、最近流行りの幾三ラップをパーフェクトに歌いこなしていた。顎が外れるだけ笑ったよ。マジで。

 

35年経っても、あの頃のまま

 

弘前から来た人間として、最後に挨拶をさせていただいた。

奇しくも、ちょうど1週間前に『ヒロコン』の第57回の定期演奏会があった。以前から自分の店の広告を出していたが、その度に招待券をいただくので、時間があれば聴きにいくようにしていた。

今年は、12名ほどで歌っていた。合唱団というよりは、もはやアンサンブルといってもいい人数だが、後輩たちはとても素晴らしい演奏を聴かせてくれた。そのことを、集まった皆さんにお話しした。

こうして集まることのできる先輩たちがたくさんいる。若い学生たちからのアプローチを待つだけでなく、今後は先輩として何かしらの働きかけも必要かもしれない。

何十年という長い歴史を作ってきてくださった大先輩たちのためにも、そしてこれから新しい歴史を創っていくであろう後輩たちのためにも。

そして、再びこうして気の合う仲間たちと盃を交わすためにも。

 

とっくに夜中の1時を過ぎていた。

三日町の大通りで、私たちは円陣を組んだ。そして歌った。歌った。

『ヒロコン』最高!

 

 

しかし、翌朝、私は何を歌ったのか憶えていなかった。ハチノヘニ ホンズ オトシテキマシタ。

 

 


関連記事

コメント7件

  •   アキさんは一関からでしたか

  •     P5(中学理系)の先輩でした

  • kiyo より:

    ブログ拝見いたしました。

    大学時代からの素晴らしいご友人たちとの再会や思い出話に とても心が温まりました。

    私の実家は寒沢浴場をやっておりました。

    みなさんが湯船でハーモニーを響かせてた頃
    私はおそらく2、3歳くらいだったと思います。

    今はもう銭湯は無くなりましたが、こうして思い出話に出できたことが嬉しくてメッセージを送ってしまいました。

    ありがとうございます。
    とても幸せな気持ちになりました♪

    • ferokie より:

      ご実家でしたか!

      学生時代は本当にお世話になりました!

      ほとんどの学友が寒沢浴場のまわりに住んでいました。あの銭湯は私たちの青春そのものであります^^

  • 須藤 より:

    G高の音楽部の実績を遡って、貴ブログに
    辿りつきました。わのごと?と思われるくだりもあり、同期の当時部長のSSヒロシの話とか出てきて夢中で過去を遡りました。
    G高の東京同窓会では、毎年総会で校歌斉唱で43年前の校歌斉唱のテープで歌います。
    今年はコロナ禍で出席者を少なくしてオンライン参加で行うみたいです。
    数年前から、一戸先生の愛弟子だった同期のM村さんが、ピアノ演奏をしています。
    その時は、一戸先生も降臨して指揮します。
    ところでリハ先輩と同期の茂樹先輩元気?

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。