toggle
2020-03-25

ツール・ド・ツガル / 春彼岸の鰺ヶ沢


 

春彼岸の期間の日曜日。ふと、墓参りをしようと思い立ち、鰺ヶ沢へ行くことにした。

ただ、ひとりで鰺ヶ沢あたりに行くとなると、(車だとつまらないし、ロードバイクで行っちゃおうかな?)と、つい考えてしまう悪い癖が出る。いや、悪いのか?良い癖なのでは?まあ、どちらでも良い。

でも鰺ヶ沢の後に五所川原にも用事で寄らなければならなかった。ここは得意のロード積み込みで行こう。

 

卒業式も終わり、春休みなのか休校中なのか、よくわからぬまま毎日を過ごしている娘。友達が泊まりに来て、二人ともベッドでぐっすり寝ていた。

私はこっそりとジャージに着替えて、外に出た。予報では終日快晴だったが、青空は全くないグレーの空だった。車にロードを積み込み、私は森田の「つがる地球村」に向かった。

 

昨年からツーリングのテーマにしている「食と温泉」 

津軽のいろんなところを走り、その土地の名物をいただき、最後にツーリングでかいた汗を温泉で流す。1000円〜1500円ほどのリーズナブルかつ贅沢なツーリング。

今回は、森田の「つがる地球村」の温泉を堪能することにしたので、そこまではドライブにした。

以前はよく娘と来たものだ。最近はさすがに男湯には入れないので、温泉へは独りで行くことが多くなった。

 

駐車場に車を停め、ロードを取り出す。

まずは、地球村から少し山側へ走る。鰺ヶ沢街道に出ると、そのまま真っ直ぐ鰺ヶ沢を目指した。距離にすると10kmほどだろうか。

建石〜小屋敷〜南浮田と走る。いつもであれば真っ直ぐ海の方に向かうが、今回は南浮田の細い山道を上った。小さなヒルクライムをすると、上野という集落に出る。僕らは「わの」と呼んでいた。かつて通った中学校があったあたりだ。

やがて、上野のバイパスを下ると、マ◯ダストアやハ◯ピードラッグなど、いくつかの郊外店が並ぶ通りに出る。

それにしても、こんな田舎にこんな数のスーパーやドラッグストアが、未だに何軒もあるのが信じられない。

 

バイパスを左折し、山側に向かって7kmほど走る。小の畑という小さな集落に着いた。そこには親父の生家があった。今は従姉が住んでいて、私の到着を待っていてくれた。

まずは、仏壇に手を合わせる。本家ということもあり、祖父や祖母、叔父や叔母の写真が並んでいる。

従姉と小一時間ほど話し込んだ。鰺ヶ沢にたくさんいた親戚も散り散りになり、たまに顔を合わせるとすれば、誰かが亡くなった時…ここ数年はそんな感じになっていた。

悠々自適にのんびりと暮らしているという人はほとんどなく、誰もが何かしらの苦労を抱えながら日々を過ごしている。人が生きるというのは、そういうことなのかもしれない。

 

従姉に別れを告げて、私は再び海の方に向かって走った。

先ほどのドラッグストアのある辺りを走り抜け、小さい頃に歩いた通学路に出た。

小学校へ向かう道の途中に踏切があって、そのすぐそばに「番場食堂」という食堂がある。もう昼を過ぎていたので、そこでラーメンを食べた。(番場食堂のラーメンについては後日ご紹介)

 

ラーメンを食べた後、番場食堂のすぐ裏手にある墓地へ向かった。そこには、親父とお袋が眠っている。

彼岸の期間ではあったが、墓地には誰もいなかった。ロードで来た私は手ぶらだった。水飲み場にあったヤカンに水を入れ、墓石に水をかけた。

手を合わせながら、こんな格好で来たことを謝り、そして娘が無事に小学校を卒業したことを伝えた。

両親が生きている間に、娘の顔を見せてやれなかったこと。それはどうしようもないことではあるが、自分の心の中にある小さな後悔である。

 

親父とお袋に一礼して、私は海の方に向かって走った。

鰺ヶ沢もやはり、快晴の予報とはうってかわって、空は鉛色。海は少し荒れていた。今の世の混乱ぶりに無関心を装うように、波は繰り返し音を立てていた。

 

 

 

相変わらず、鰺ヶ沢という町は、ノスタルジーを感じながらも、少し陰鬱で、でもやはりほっとする、自分にとって大切な場所である。

少し体が冷えた。地球村までひとっ走りして、温泉で温まろうか。

 

 


スポンサーリンク
関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です