「8月6日」という日
「8月6日」という日は、「弘前ネプタ」の運行最終日。これは、毎年のように決まっている。
しかし、今年のこの日は、太鼓も囃子も聞こえてこない。
「ネプタノモンドリコ」の掛け声とともに、自宅の前を通る灯籠の姿はない。
小さい頃は、いわゆる「ねぶた馬鹿」だった。
「ねぶた馬鹿」にもいろいろあるが、自分は作る方の「馬鹿」だった。小学生から中学生にかけては、夏休みになれば毎日のように画用紙に「ねぶた」を描き、針金を曲げながら「ミニねぶた」を作っていた。
弘前市民になり、社会人になってからは、観る「ねぶた」が「ネプタ」に変わり、熱狂的な「馬鹿」ではなくなった。
それでも、店の前を通る幽玄な「ネプタ」を目にすると、暑く熱い夏と同時に、去りゆく津軽の夏をも感じるのだった。
弘前の人間が、それをもっとも感じるのが「ネプタ」運行の最終日、8月6日。
しかし、今年のこの日は、太鼓も囃子も聞こえてこない。
「ネプタノモンドリコ」の掛け声とともに、自宅の前を通る灯籠の姿はない。
ハードディスクの中にある何年か前の「ネプタ」の写真を眺めている。
店の2階から撮った写真が多い。私の店は駅前コース、つまり5日と6日に運行するコースの最終地点にある。だから、「弘前ネプタ」の夜の最終運行の最終地点で、私はいつもファインダーを覗いていた。
青森の「ねぶた」は遠くからやってくる姿に心躍るけれど、弘前の「ネプタ」は目の前から去っていく姿に趣がある。
それはやはり「見送り絵」があるからだろう。
武者が描かれた迫力ある「鏡絵」に比べ、裏側の「見送り絵」は美人画が多い。が、それは決して華やかなものではなく、少しほの暗く、ときにはおどろおどろしい表情を魅せる。
「弘前ネプタの醍醐味は、この見送り絵だ」という人も多い。
2020年の「8月6日」は、あの日から75年。
「8月6日」は、広島に原子爆弾が投下された日でもある。
奇しくも、昨日、あの日のことを想起させるような出来事があった。
レバノンのベイルートで、想像を絶するような大爆発があった。
映像を見ると、ドーナツ状の大きな雲が現れた数秒後、爆音とともに爆風が街を襲う。それは、映画などで観るCGとは、まるで異なるモノだった。
75年前のキノコ雲は、おそらく、その何倍、何十倍、はるか何百倍のモノだったのだろうか。
「ネプタノモンドリコ」の音が聴こえない、2020年の「8月6日」の夜を迎え、独り飲みながら考える。
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