骨折闘病記 ① 「骨折した日」
静かなお盆を迎えている。
新型コロナウィルスの影響で帰省客も少なく、街は静かだ。
津軽各地で行われる夏祭りも、ほとんどが中止となっており、どの街も静かだ。
昨年の今頃は、NHK合唱コンクールの県大会で娘たちと喜びの歓声をあげていた頃だが、今年はそのコンクールも行われていない。
それでも故郷の御墓参りくらいは、県境を跨がずにできる。
鰺ヶ沢のお寺で墓石に水をかけてあげたり、位牌堂の前で娘と手をあわせることもできる。
しかし、2020年の夏は、それすらできない夏となった。
私の左手にはぐるぐると包帯が巻かれている。
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8月7日。
久しぶりにMTBで岩木山神社までツーリングをした。
いつものラーメン屋さんで山菜そばをいただいて、帰途についた。往路は樋の口イオンの方を走ったので、復路は岩木の旧道を走る。

岩木川の近くまで来ると、道が少し狭くなった。向こうからの対向車線は車が列をなしている。私の背後にいるトラックが、私を追い越せないでいる雰囲気を感じた。
歩道に逃れようとした。ほんの少しの段差だから、MTBなら軽く乗り越えると思った。
その瞬間、「ガッ!」
と前輪が段差でロックし、私の身体は宙に浮いて、 左腕から落ちた。
瞬時に落車したことは理解できたが、自分の身体がどんな状況になっているのかは、まるでわからなかった。
とりあえず激痛の走る左手を見る。中指だけが倍の太さになり、他の指とは反対の方向に曲がっていた。
それだけで、自分の身体にとんでもないことが起きているということは、いやでも理解できた。
脚を引きずりながら、すぐ近くの神社に避難した。すぐ起き上がったせいだろうか、そばを走っていた車からは誰も降りてこなかった。
スポーツグラスはレンズが外れ、血に染まっていた。よく見ると、左腕のあちこちから血が流れ、視認はできないが顔面からも流れているらしい。
そして、肉がえぐれた左膝からは、かなりの血が流れ出していた。
私は、ウェストバッグの中から携帯電話を取り出し、近所に住んでいる友人のKskに電話をした。Kskは「すぐに軽トラで行く!」と言った。
彼が駆けつけてくれるまでの、ほんの十数分の間。血まみれになりながら、いろんなことを考えていた。
家族のこと。仕事のこと。これから行くはずだった知人の写真展のこと。今日一日、何をしてこんなことになったのか。
流れる血を小さなタオルでぬぐいながら、勝手にいろんなことが、ぐるぐるぐるぐると、頭の中を巡っていた。
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「あ〜これは脱臼してるな」
天を向いた左手の中指を見て、老医者が言った。
確かにレントゲンを見ると、中指の関節が横にずれていた。素人の自分が見てもよくわかる。
老医者は、その中指を思い切り引っ張った。「コキ」という音がした。
「よし!ハマった。大丈夫だ。もう痛くないべ?」
(いや、おじいちゃん、めちゃめちゃ痛いです…涙)
「手首はもしかしたら折れてるかもしれないね」
店の近所にある整形外科へ紹介状を書いてもらうことにした。
Kskから連絡を受けた妻と娘が、待合室で待っていた。
左手、左膝、顔面、右手の一部、と包帯だらけになった私を見て、娘は少し泣きそうな顔をしていた。

お盆を目の前にし、不自由な生活が始まることを予感した、2020年の8月7日。
なんとも情けない残暑の始まりである。
* 何年か後、今回のことを振り返るための備忘録として書いています。
(続きのブログ → 骨折闘病記 ② 「CT検査」)
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