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2020-08-16

骨折闘病記 ② 「CT検査」


 

「本間くん、もう57歳になるんだね〜」

私よりも7〜8つほど歳下の J先生が言った。

 

8月8日。

私が働いている店の真向かいにある J整形外科。評判が良いらしく、毎日のように来院者が外に行列を作っている。

しかし、自分がこの行列に並ぶとは思っていなかった。視線の向こうに自分の店があることに違和感を覚えた。

 

前日の夜に J先生に怪我のことをメールしていたが、ここまでヒドいとは思ってなかったようだった。

「本間くん、とりあえず左膝ほっとくと壊死しちゃうから、少し切開して縫いますね」

ご近所で仲が良いから「本間くん」と呼んでいるのではない。

私が店で働き始めた頃、高校生だった J先生はよく店に遊びに来ていた。その頃の私は、誰からも「本間くん」と呼ばれていて、歳下だった高校生からも同じように呼ばれていた。

 

岩木の老医者から紹介状を預かり、朝イチで行列に並んだが、ちょっとした手術もあって、結局終わったのは14時になっていた。

最も痛む手首は、改めてレントゲンを撮ってもらった結果、やはり骨折の疑いがあるらしい。

「たぶん、これは手術が必要かもしれないから、国立病院へ紹介状を書きますね。2週間くらいしたら、抜糸に来てください」

あの頃から数十年が経ち、人気の整形外科医となった彼が笑顔で言った。

 

 

8月11日。

J先生から預かった紹介状を持ち、国立弘前病院へ向かう。

私が弘大生だった頃からある病院は、かなり老朽化している。2022年には、市立病院と統合して近代的な大病院へと変革するらしく、裏の方では工事が行われている。

ここでも再度レントゲンを撮る。担当してくれた先生がレントゲン写真を見て言った。

「これはレントゲンを見ただけではわからないから、CTを撮りましょう」

私は再び放射線科に向かい、大きな機械のある部屋に入った。建物は古いが、設備は最新なのだろう。

CT検査の結果は翌日でないとわからないらしい。翌日に再訪することになった。

 

 

 

8月12日。

診てくれたのは前日とは違う先生だった。

健康そうに日焼けした I先生は、CTで撮った写真を見て言った。

「これはねえ、私もあまり見たことのない骨折です」

J先生が紹介してくれた I先生は、手の専門医らしいが、その先生でもあまり見たことのない骨折だというのだ。

「手首の外側、ここ折れて骨が剥がれ落ちています。内側もヒビが入って折れています。でもそれより問題なのが…」

(それより問題なのがあるのか…汗)

「真ん中の骨がおそらく陥没しています。手の甲の骨が食い込んで陥没したのでしょう」

 

どんな症状が、どのくらいヤバいのかはよくわからなかったが、手術が必要なのはわかった。

手の甲は、幾つかの骨がスクラムを組んでいる状態で、腕の骨とつながっている。しかし、その繋ぎ目にある骨が陥没していると、そのスクラムが崩れてきて、手全体の骨組みに影響が出てくるらしい。

なので、その骨折した部分の治療とは別に、骨組みが崩れないようにする手術が必要なのだ。

健康な部位の人差し指あたりと、腕部分のボルトを打ち込んで、そのボルト同士をプレートでつなぐ。そのプレートで一定の距離を保つことにより、骨のスクラムが崩れるのを防ぐ。

先生方もあまりやったことのないパターンらしい。

 

面倒な手術を回避して、後々不自由になるのは困る。歳も歳だ。しっかりと治さねばならぬ。

「20日に手術をしましょう」

私は「手術同意書」にサインをした。

 

一泊二日の入院。整形外科の隣にある部屋で入院についての説明を受けた。

たったの一泊でもそれなりの手続きが必要らしく、持参するもの、料金についてなど、こと細かい説明をいただいた。最後に看護師さんが言った。

「あ、ヒゲは剃ってきてください」

 

 

8月16日。

 

 

連日、猛暑日が続く日本列島だが、妙に顔が涼しい、静かなお盆を過ごしている。

 

 

* 何年か後、今回のことを振り返るための備忘録として書いています。

(続きのブログ → 骨折闘病記 ③ 「入院」)

(前回のブログ → 骨折闘病記 ① 「骨折した日」

 

 


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