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2020-08-23

骨折闘病記 ③ 「入院」


 

8月19日。

「3時間くらいかかる手術になると思うので、音楽とか聴いててもいいですよ」

と、嬉しい…いや、あまり嬉しくない助言を I先生よりいただいていた。手術中にYouTubeをピコピコ操作するのも煩わしいし、それ以前に手術室にはWi-Fiがないだろう。

日頃、iPhoneで音楽を聴くことは稀だ。取り込んでいる音楽は、昨年コンクールで演奏した曲くらいだった。それだとほんの数分で終わってしまう。

CDが並べられている棚から、4枚選んだ。

キングズシンガーズが歌うルネサンス期の名曲集。F.プーランク作曲の現代曲集。多田武彦作曲の男声合唱名演集。クラシックばかりだとなんだから、佐野元春のファーストアルバム『Back To The Street』

どれも約60分のアルバムだから、このうち3枚を聴いてれば、知らぬうちに手術も終わるに違いない。

 

他に、バスタオルや着替えなど、必要なものを大きめのトートバッグに押し込めて準備は終了した。

このトートバッグに荷物を入れるというのは、ここ数年は、決まって娘の「合唱コンクール東北大会」へ引率するときであった。

だから、このトートバッグを使うのは、何かしらドキドキを味わうための儀式のようなものだったが、そういう意味では今回もやはり同じだった。

 

 

8月20日。入院。

古い建物の正面玄関から入り、受付に書類を出す。数分待っていると、「病室へご案内します〜」と、まつ毛がバッチリとした看護師さんが現れた。

細長い廊下を歩くと、やがて建物の雰囲気がガラリと変わる。「新しい病院」へと変革するため、すでに完成している病棟は、近代的であり、やはり衛生的に見える。

 

5階へ向かうためのエレベーターの近くまで歩き進んだとき、ふと、私の目にあるものが飛びこんだ。

 

一瞬にして、村上先生の作品だとわかった。

古文書や気象図などのモティーフを、現代美術に昇華させた作品が多い村上先生の仕事の中でも、私はこの「貨物列車のシリーズ」が最も好きだった。

 

「おまえさん、何しに来たんだい?」

先生の声が聞こえたような気がした。

 

5階の4人部屋に案内される。すでに3人の先客がいた。

窓側のベッド。遠くに大鰐の山が見えた。

荷物の収納を終えると、午後の手術に向けての点滴が始まるらしい。てっきり昼飯が食えるのかと思ったら、そうではなかった。

用意されたパジャマに着替え、ベッドに横たわる。手術用の点滴は、針が少し太いと聞き不安がよぎる。なかなか血管が浮き出ない私に腕は、過去の点滴でも迷惑をかけてきたからだ。

案の定、若い看護師さんは苦労をしているらしく、私の右腕には紫の大きなしこりができた。看護師さんは何度も謝っていたが、悪いのは私の腕の方だ。

ベテランの看護師さんがヘルプに入ってくれて、5度目にしてようやく成功。あまり見たことのないような場所に点滴の針が刺さっているのを見て、手術を前に、私の戦意も喪失気味だった。

 

手術の前に、妻と娘が面会に来た。

術後に家族に説明があるということで、手術が終わるまで待っていてくれるらしい。わずかに残っている夏休みの宿題を持ってきていた。

 

8月20日。13時半。

頭に水色のシャワーキャップみたいな帽子を被り、病室を出る。待合室にいた妻と娘に声をかけると、娘は少しだけ不安そうな顔をした。

エレベーターで1階まで降りる。いくつかの自動ドアを通り過ぎると、手術室が左右にずらりと並ぶフロアに出た。

「こちらの右側の部屋へどうぞ」

看護師の案内で部屋に入ると、中央には明らかに私のために用意されたL字の手術代があった。身体を置く台と、左手を置く台である。

私は案内されるがままに、手術台に寝かされる。数人の看護師がテキパキと準備を進めていく。私の左側はシートで覆われ、視界は遮られた。

 

「伝達麻酔」という麻酔で手術は行われる。左の脇の下に麻酔を打つ。

左腕が次第に痺れ始めてきて、しばらくすると左手の親指と人差し指がビリビリときた。

「ウォ〜」と声を上げると、立ち会っていた病院長の T先生が「いい感じに効いてるねえ〜」と心なしか嬉しそうに言った。

今回の手術は、骨折の手術としては珍しいということもあり、担当医の I先生と整形外科医でもある病院長の T先生との2人体制で施術するらしい。(正式術式名:左橈骨観血的骨接合術)

 

 

少しずつ左手の感覚が無くなっていく。わずかに残る感覚の中で、私の左手は肘を立てたまま、何かの器具に固定されていくような感触があった。

いろんな角度から切ったりドリルで穴を開けたりするから、腕を立てたままで手術をするのだろうか。

左手の感覚はなくなりつつあるが、意識が遠のいていくということなない。むしろ、先生と看護師との緊張感ある会話がいやでも聞こえてくる。

私は、その音を遮るために、持参したiPhoneで音楽を聴くことにした。まずは、気持ちを落ち着かせるためにキングズシンガーズを聴こう。

 

しかし、気持ちを落ち着かせようとする思いとは裏腹に、私の脚はブルブルと震え始めていた。

今から3時間、私は音楽を楽しむことはできるのだろうか。

 

 

* 何年か後、今回のことを振り返るための備忘録として書いています。

(続きのブログ → 骨折闘病記 ④ 「手術」(左橈骨観血的骨接合術)

(前回のブログ → 骨折闘病記 ② 「CT検査」

 

 


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