『一日を大切に生きる』ということ
空はまだ明るいけれど、自宅の近所にある『Eat & Talk』というレストランに、ひとりで夕食を食べに行った。
店内に入ると、真ん中の大きいテーブルに知り合いの女の人がいた。たまに店に来るお客さんだ。そういえば、午後に「さくら野百貨店」に行ったときにも見かけたのだ。オリーブグリーンのセーターにジーンズ、と見かけたときと格好は同じだった。
「こんばんは」と、声をかけると、彼女はニコッと笑顔を浮かべ、手を振った。6〜7人の仲間で来ているようだった。
私は、少し離れた小さなテーブルに座った。何を食べようか思案していると、彼女がとことこ近づいてきて、私に言った。
「向こうのテーブルに、〇〇さんが来てるよ」
彼女の指差す方を見ると、壁際にある大きなテーブルに男性が5人ほど座っていて、その端っこに座っている男性の顔に見覚えがあった。私は彼女にお礼を言って、その男性の方に向かった。
「あ、本間さん、お久しぶりです」
浅黒く日焼けしたその男性は、私を見ると立ち上がり白い歯を見せた。
「何年ぶりかに帰ってきました。このコロナのせいで、材料も手に入らなくなって…大変ですよ」
彼の言う材料が、食材なのか、それとも何かの部品の資材なのか、私にはわからなかった。そもそも、彼が何をしている人なのかわからなかった。いや、正直に言えば、名前も知らなかったのである。何となく見たことのある顔…その程度だった。
サーファーだから日焼けしているのか、日焼けしているからサーファーに見えるのか、よくわからないが、髪はくるくるとパーマがかかっていて、やはりサーファーに見える。名前も職業もよくわからないそのサーファーに話を合わせながら、私はしばらくの間、談笑していた。
道に面して、一面の大きな窓ガラスがある。ガラス越しに通りを眺めながら話をしていた。
そのとき、外の景色が少し歪んで見えた。よく見ると、向かい側にある建物が揺れていた。
「地震!」
店内が少しざわつく。私はテーブルにつかまった。
急激に揺れが大きくなった。とっさに10年前の大地震を思い出した。
窓の向こうに大きなホテルが見えた。屋上にあるホテルの名前が書かれた大きな立方体の看板が、グラグラ揺れている。さらに揺れが大きくなった途端、その大きな看板が折れ曲がり、隣の小学校に崩れ落ちた。
道の真向かいにある古い家屋も傾き始めている。
(やばい、ここの天井も崩れるかもしれない)
「みんなテーブルの下に入って!」 私は大声を出した。天板の厚さが5cmほどもあるテーブルの下に潜り込み、必死にテーブルの脚にしがみついた。
どのくらいの時間が経ったのだろうか。揺れが少し収まったのを見計らって、皆で逃げることにした。
壁際にある細い通路を駆け下りると、地下の駐車場に出た。さらに駐車場の細い通路を走り抜けると、表の道路に出た。急いで道路を渡る。渡った向側には、大きな木が奥に向かって並んでいて、その先に巨大な施設が見えた。
「弘前に長年住んでいるけど、神宮球場に来たのは初めてだ」と、一緒に避難している女の子に言った。どうやら、視線の先に見える大きな施設は「神宮球場」らしい。
大きな木が両脇に並ぶこの道は参道のようで、おみくじなどを売っている古い建物は半壊していた。
球場には向かわず、参道をカーブして歩いていくと、御社が見えた。御社は最近建てられたらしく、造りはかなりしっかりとしている。
多くの人が避難していた。知った顔も数人いる。県の防災を担当している知人がいた。
「これ、どこが震源の地震なの?」と訊くと「わからない。ほとんど情報がないんだ」と、彼はこわばった表情で言った。
「でもね、さっき入った情報によると、沖縄あたりだと言っていた」
「え?沖縄?…そんな遠くなのにこんなに揺れたの?じゃあ、東京とかあっちの方は、ヤバいんじゃ…」と言いかけたところで、彼は私の口を塞いで、首を振った。(言わなくてもわかっている) そんな顔をしていた。
御社の中を歩き、反対側の玄関を開けると、そこは弘前公園のお濠の前の道路だった。通りに出て振り返って見ると、『山田屋旅館』という看板があった。弘前でも、観光客に人気の老舗の旅館だ。
(そうか、あの御社はそのまま旅館と繋がっているのか)
地元にいると、有名な老舗旅館に入る機会はなかなかない。あまりの大きな地震だったので、旅館側が避難場所として提供しているようだった。
私は再び旅館の中に戻った。
どうしようか。
明日は東京へ出張の予定だった。いや、出張どころの話ではない。これから先、日本はどうなるのだろうか。
途方にくれた自分の格好を見ると、黒のTシャツにトランクス姿だった。
グェグェグェグェグェ…… 蛙が鳴いている。
何事もなかったように、すーっと目が覚めた。
何故か、(あ〜夢だったのか。よかった…)という思いもなく、さっきまでの出来事を忠実に思い返していた。はっきりとしていた記憶が、早くも薄らぎ始めている。
骨折をしてから、この1ヶ月。変な夢を見るようになった。
夜中に目を覚ましては考え事に耽り、眠れなくなる。なぜ、このような夢を見るのだろうか。もしかしたら、怪我をしてこんな身体になった自分に対し、「日々の大切さ」を夢が教えてくれているのかもしれない。
「もっと一日一日を大切に生きなさい」
本を読んでいても、ネットを見ていても、よく目にする言葉である。それは、確かにそうであるし、そうでなければならない…と思う。
でも、『一日を大切に生きる』って、どういうことなのだろう。何をすればいいのだろう。もっと他人に優しくすればいいのだろうか。もっと娘の話を聞いてあげればいいのだろうか。
グェグェグェグェグェ …… 窓の外で、蛙が鳴いている。
彼らはなぜ、こんなにも夜通し鳴き続けているのだろう。喉が疲れないのだろうか。身体がボロボロにはならないのだろうか。
『一日を大切に生きる』
きっと彼らは、その理由を知っているに違いない。
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