「成人式」
1月11日は、「成人の日」だった。
自分の時代は「成人の日」といえば、1月15日だったが、いつのまにか1月の第2月曜になっていた。
「ハッピーマンデー制度」という制度らしいが、自分は仕事柄、祝日が休みになることはないので、あまり気にしたことはない。むしろ、この制度のおかげで祝日の持つ意味が薄れてしまった感がある。
祝日って、その意味を考えたり季節を感じたりするものだったが、今となっては「どのように連休にするか」の方が大切なのだろう。世の人々の大半が、土日祝が休みなのだからしょうがないか。
この「成人の日」に「成人式」が日本各地で行われる。
しかし、このコロナ禍の2021年「成人式」は、日本各地で大混乱。中には、式当日の朝に中止が決まった自治体もあったらしい。弘前市は会場を3カ所に分散して開催する予定だったが、結局延期となった。
振袖をレンタルし、着付けや記念撮影の予約など、数十万円をかけて準備した新成人にとっては災難の日になってしまったかもしれない。
だがそもそも、自分たちが若かった頃は、そこまで金をかけてやるイベントでもなかったように思う。
まあ、これは個人の価値観や家族の考え方もあるだろうから、「成人式」というイベントの善し悪しを安易には語れない。
「一生に一度のことだから、素敵な着物を着て、記念写真も撮っておきたい」「久しぶりに中学や高校の友達と会うことができるし、みんなでワイワイやりたい」
そう思うのが多くの家族の考えであり、若者の思いだろう。日本人は、右倣えが好きだし。おそらく、20歳だった頃の自分もそうだった。
一年浪人して大学に入ったので、自分が「成人式」に参加したのは大学一年の時と記憶している。住所がまだ鰺ヶ沢にあったのだろうか、参加したのは鰺ヶ沢町の「成人式」だった。
大学に入学した時に買った「VAN」のネイビーブレザーとブラックウォッチのチェックのパンツ。典型的なIVYスタイル。
そんな格好をしていたのは自分一人だった。多くの新成人は、みな横浜銀蝿のようなスーツにリーゼントで決めていた。それが主流だった。
自分の格好は明らかに浮いていた…というよりも埋もれていたかもしれない。私は、中学の時に仲の良かった女の子と記念写真を一枚だけ撮り、そのあと二十歳(はたち)の献血をしてそのまま帰宅した。
だから、「成人式」のあとに旧友とどんちゃん騒ぎをした記憶など、全くなかった。
先日、尊敬する写真家が、こんなことを書いている記事を見つけた。
僕は成人式に行きませんでした。
写真家になりたかった自分は、成人式が連休だったので、同じ写真家志望の友人と一緒に東北に撮影に行き、作品作りをしました。
どうしても写真家になりたかった、そして一点でも多く作品を撮ろうと思っていた自分にとって、貴重な休みであり時間でした。
式に出るだけが成人式ではないと思います。自らの心の中に成人となる節目をつければよいだけだと思うのです。
20歳だった頃の自分は、このようなことを露程も思ったことはなかった。誰もがすることは自分もしたほうが良いと思っていた。
しかし数年後、周りの友人たちは皆、教職の道に進んだが、自分は洋服屋になった。そんな自分ならば、あの1月15日は、自分にとってもっと大切なことをしておけば良かったなあ…と思う。
娘が成人を迎えるのは、まだ先だけど、彼女はそのときどんな風に考えるのだろう。
私の考えを押しつける気は全くないけれど、彼女なりに「自らの心の中に成人となる節目がつけられる佳き日」と、なることを望んでいる。
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