2021年の静かなる桜
年々早まる桜の開花。今年はとくに早かった。
『弘前さくらまつり』が始まる頃には、外濠は散り始めていた。そして春の風が容赦なく花吹雪を舞い散らせていた。
「もう少し花が持てばいいのに」「咲くと強風が吹くんだよなあ」と、人間は人間にとって都合のいいことを言う。昨年はコロナウィルスの影響で中止となっていただけに、今年のさくらまつりを楽しみにしていた人は多いだろう。
それなのに、自分の足はなかなか公園に向かなかった。
休日の朝。5時に目が覚めた。
ふと思い立ち、暖かい格好に着替え、X100Fを首から下げて外に出た。冷たく張り詰めた空気の中を、MTBで公園に向かって走り出した。
まだ5時半だというのに、中央高校近くの濠沿いには多くの人がいて、カメラを構えている。花筏を泳ぐオシドリでも撮っているのだろうか。
その光景を横目に亀甲方面に向かう。亀甲交差点に来ると、ここでも多くの人がカメラを構えている。朝焼けの岩木山が濠に映り込む絶景スポット。皆と同じようにファインダーを覗き込む…が、私はシャッターを押すのをやめた。
そのまま外濠沿いを走ると、やがて濠の向こうに春陽橋が見える美しい光景が現れる。ファインダーを覗き込み、今度はシャッターを押してみる。が、再生された画像を見てすぐに削除した。
春陽橋から、桜並木がカーブする外濠の光景。ここでもファインダーからその美しい光景を見つめるが、シャッターを押すことはなかった。
数年前からわかっていた。「誰もが美しいと思う風景を、誰もが美しいと思う写真に撮る」ことが、自分にはできないのだ。
それは、技術的なものに起因していることは明らかだったが、それ以前に「美しい風景を撮りたい」という心の動き…どうやらそれが自分には欠如しているらしい。
結局、シャッターをほとんど押すことなく、公園を一周して再び外濠に戻ってきた。
外濠では花筏の中をオシドリが泳いでいた。私はファインダーを覗き、シャッターを押してみた。すぐに画像を再生してみるが、オシドリは見事にブレていた。やはり、向いていないようだ。
ふと目を戻すと、オシドリの泳いだ後に、少しだけ水面が現れ、そこに日の光を浴びた桜の花がわずかに写っていた。
一面を覆っている、まさに花筏もあれば、少しだけ覆われている水面もあって、そこに写り込む桜の花がそれぞれの表情を見せている。
そのどれもが静かな佇まいで、しかし静かに主張をしていた。

90%

60%

30%

10%

0%
どんな被写体であれ、光と影は何かを気づかせてくれる。
薄々分かってはいたが、モコモコと競い合うように咲く桜よりも、ひっそりと静かに主張する桜に心が動くらしい。
ほんの少ししかシャッターを押せなかったが、心は凹むことなく、むしろスッキリとしていた。
そんなコロナ禍の2021年の桜だった。