65日ぶりのツーリング
ペダルを回しながら岩木山を仰ぎ見るのは、久しぶりだった。 残念ながら、八合目あたりから上は雲に隠れていたが、気温はちょうど良いかんじで、そよぐ風も心地良い。 「あねっこ」のある街道に入ると、道沿いに並ぶ桜の木が色づき始めていた。 (そうか、あれからもう2ヶ月か…)
妻が旅立ってから、すでに2ヶ月が経っていた。 いや、時間はあったのだろうが、(ツーリングに行こうか、 しかし、身体のことは少し考えた方がいい。自分の身に何かあれば、
スポーツは好きだったが、どれも大して長続きはしなかった。 自分のペースでできること。ひとりでも楽しめること。 これほど、自分の好きが凝縮された趣味はないかもしれない。が、趣味とはいえ運動である。65日ぶりのロードバイクは脚に堪えた。
シューーー!っと、ひとりのチャリダーが私の横を走り抜けていった。 百沢のバイパス坂に差し掛かると、瘦身のチャリダーはすでに100mほど先にいた。少し追いかけてみようか…と思ったがやめた。 他人は他人だ。自分には自分のペースがある。比較してもしょうがない。
人間は小さい頃から大人になるまで、他人と競争する世界に生きている。 学校もそうだし仕事もそうだ。競争するということは、比較する・されるということだ。 しかし、歳を重ねると気付き始める。他人と比較することが、どれほど自分の生き方を狭めているかということを。
坂を上りきると、弥生方面から合流するところに、真っ赤なスーパーカーが見えた。フェラーリのようだ。 40年以上前のスーパーカーブームの頃は、カウンタックLP500Sだの、フェラーリ512BBだの、やたらと詳しかったが、今はまるで知らない。
ブロロロロォと音を立ててフェラーリが私の横を走り抜ける。しかし、先の赤信号で停まる。私はすかさずフェラーリを追い返した。 (スーパーカーを追い越したぞ) と妙な気持ちになりながら、岩木山神社に向かって走り出すと、その30秒後には「ブロロロロォー!」と再びフェラーリは私を追い抜いていった。
岩木山神社の駐車場には多くの車がいた。 コロナ禍ではあったが、思いのほか賑わっていた。最後の嶽キミを求めにやってきているのだろう。 境内ではたくさんの提灯の飾り付けの作業が行われていた。そうか、お山参詣の時期か。今年はやるのだろうか。
境内を見渡すと、いつもの珈琲屋が店を出していた。 神社まで上ったあとは、ここでよくアイスコーヒーを飲んで、美味しいドーナツを食べた。でも、昨年はコロナのせいか、店は出していなかったはずだ。 久しぶりにドーナツをいただこうかと思ったが、マスクを持参していないことに気づいた。 ドーナツとアイスコーヒーを買うくらいならマスクをしていなくても大丈夫だろうとは思ったが、なんとなく気が引けてやめた。 どうにも暮らしにくい世になったものだ。
私は諦めて、向かいにある店の自販機でドリンクを買うことにした。 伊藤園の「ビタミンパワーGO!」という初めて飲む栄養?ドリンクだった。 味は「オロナミンC」と同じだった。
上ってきた道と同じ道を下る。 久しぶりに走って、心も体もスッキリとするかと思ったが、心はどこかモヤモヤとしたままだった。 このモヤモヤの正体は何なのだろうか。なんとなく答えは分かっていたが、無理に正解を導き出す必要はないと思った。
ハンドルを握る左腕の傷が疼く。 ちょうど1年前、ツーリングで骨折したのだった。 骨折から1年経ったタイミングで、ロングライドをしようかと考えていたが、結局走ることなく8月が終わった。
ボルトが打ち込まれていた傷は、下の組織と癒着したままで、手を動かすたびに違和感が残る。 違和感とは、これまでと違うから違和感と思うのであって、この先この違和感と生活をしていけば、それは新しい日常となる。 大切な家族のいなくなった非日常は、残された家族にとって、やがて日常となる。
「ただいま」と、無事に帰宅することが大切だ。 私は落車しないよう、慎重にペダルを回した。
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