ツール・ド・ツガル / 不思議な路『アップルロード』
先週から再開したロードバイク。
2ヶ月以上も期間が空いていたせいか、ショートツーリングでも翌日の身体はバキバキ。まだ、ロングは厳しそうだ。
(アップルロードなら、ちょうど良いかもしれないな…)
ふと、そう思い立ち、物置からロードを出した。
代官町から、れんが倉庫美術館の方へと向かう。
銀座街あたりの交差点が以前と変わっていて、美術館へ向かう道が直進になっていた。
道は、こうして知らぬ間に変わっていく。
美術館の前を通ると、妙に静かだ。
そうか、コロナの感染拡大防止のため休館中なのだ。
ガラス越しに「わんこ」が見えた。
美術館の向かい側に、かつて娘が通っていた保育園がある。
毎日のように送り迎えをしていたあの頃、「わんこ」は外で放し飼いにされていた。
鍛冶町を通り、寺院が立ち並ぶ新寺町、そして茂森新町へと抜ける。
蕎麦屋の「彦庵」が見えた。
弘前でも有名な蕎麦屋さんで、妻がときどき訪れていた。店主の石戸谷さんには随分とお世話になった。
先日、お礼も兼ねて家族を連れておじゃまし、皆でお蕎麦を頂いた。とても美味しいお蕎麦だった。また来ます!
常盤坂を下りきると岩木川沿いの路に合流する。
そのまま相馬方面に向かうと、やがてアップルロードとの交差点に出る。右に行けば百沢だが、この日は左折して小沢〜狼森へと向かった。
『アップルロード』を走るというのは、「岩木山神社から幾つかの山を越えて、石川に到る(またはその逆)」というのが、本来のルートである。
しかし、時間的に(というよりも身体的に)余裕がなかったので、今回は相馬からのプチ山越え。
激坂はないが、そこそこのアップダウンが3つほどあるコースだ。
左右にリンゴ園を見ながら最初の坂を上る。
上りきったところから見る岩木山は格別であるが、岩木山はまだ雲を被っていた。
それにしても、9月だというのに暑いな。
ゆるいアップダウンを繰り返しながら、一直線の『アップルロード』をゆる〜く走る。
久渡寺へと向かう路との交差点を越えると、やがて右手に墓地公園が見える。たしか左側には自衛隊の駐屯地があるはずだ。
『アップルロード』は不思議な路である。
アップルという名の通り、路の左右には多くのリンゴ園が存在し、ところどころに直売所も点在する。
そんな山の中を走る、いたって普通の路である…が、何故不思議かといえば「ワープする路」だからである。
勿論、それは私自身が勝手に思い描いているイメージであって、誰かに話したこともない。
私自身が弘前生まれではないので、郊外にある集落の位置関係を元々知らなかったために、そう感じるのだと思う。
俯瞰してみたとき、弘前を走る路は主に南北に走っている。
メインは国道7号であり、その7号と並行するようにして土手町から門外、石川、大鰐と走る旧国道がある。
また、完全に並行とは言えないが、岩木川沿いに相馬、西目屋へと走る県道がある。
これら南北に走る路と交わるのが、黒石に向かう国道102号。そして岩木山に向かう県道3号である。
どの路も、弘前界隈に暮らす人にとっては慣れ親しんだ路だ。
『アップルロード』は少し違う。
南北に走る路が多いが故、岩木山(百沢)、相馬、小栗山、石川という集落は、繋がりのない地域に感じていた。
しかし、初めてロードバイクで『アップルロード』を走ったとき、位置関係がバラバラに感じていたこれらの地域が、一本の線で繋がっているということに、なんとも不思議な感覚を覚えた。
まるで「ワープする路」だったのだ。
ちょうどお昼時。『アップルロード』沿いにある「狼森食堂」のノボリが見えた。
名物の味噌ラーメンを食べようかと迷ったが、この日は暑すぎた。次回にしよう。
小栗山の少し勾配のある坂を上りきると、あとは石川までは下り基調だ。
弘南鉄道大鰐線を高架橋越しに走り抜けると、アップルロードの終点に着いた。
旧国道との交差点に位置するローソン駐車場の一角に、その店はあった。
「大鰐焼き」というオリジナルのスイーツをを販売するキッチンカー。
私が手を振って近づくと、真っ黒に日焼けした店主の永澤さんが笑顔で迎えてくれた。
飲まず食わずで走っていた私は、すかさず「チリンチリンアイス」にかぶりつき、そして「粒あん入りの大鰐焼き」もいただいた。
とても美味くて、幸せな気持ちになった。
永澤さんは、大鰐にあるレストラン「WANY」のオーナーだ。
亡くなった妻は、今年の春「WANY」でバイトをしていた。
バイト後の一杯を楽しみにしながら、頑張っていたようだった。
短い間ではあったけれど、永澤さんには大変お世話になりました。
ほんとうに、ありがとうございました。
『アップルロード』を後にし、南北に走る旧国道を弘前の街に向かって走る。
嬉しいような、物悲しいような、なんとも不思議な感情に浸りながらペダルを廻した。
やはり、『アップルロード』は、私にとって不思議な路だった。
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