「卒業式」 と 「15の誕生日」
道端に積まれた雪も消え、岩木山がくっきりとした姿を見せていた14日の朝。
娘が卒業式を迎えた。
娘と一緒に少し早めに学校へ向かった。
娘と玄関で別れ、受付を済ませ控え室に入ると、すでに幾人かの保護者の方が談笑をしていた。
ほとんどが夫婦で来ているか、または母親が来ている様子で、父親のみというのは私だけのように思えた。
私はとくに誰とも話すことなく、ひとり椅子に座り、受付でもらった式次第のプログラムを見ていた。
受付では「お父さん、お母さんへ」と書かれた娘からの手紙も受け取っていたが、まともに読む自信がなく、そのままトートバッグの中にしまいこんだ。
体育館に入ると、すでに多くの保護者の方々が席についていた。私は、卒業生が歩くであろう通路側の席に座った。
卒業生が入ってくる。男女が並んで入ってくる。
娘は少し緊張しているような表情をしていた。
中学に入学する頃から、コロナ禍が世の中を覆い始め、娘たちはマスク姿の同級生と長い時間過ごすことになった。
そして、3年が経ったこの日。壇上で卒業証書を手渡される彼らの顔にマスクはなかった。誇らしげな素顔があった。
式が終わり、玄関の外で娘を待っていると、泣きはらした顔をして娘は出てきた。
たくさんの友達と一緒に記念写真を撮ってあげた。大好きな先生との写真も撮ってあげた。
どうやら、彼女にとっての中学校生活は楽しいものだったようだ。
良かったなあ。
「卒業式の時点で、クラスで私だけまだ14歳だったんだよね」と言っていた卒業式、その翌日。
彼女は15歳になった。
二日続けてのお祝いの日だったので、この日にまとめて「Eat & Talk」でお祝いの夕食会をすることにした。
娘と嫁さん次男坊と私。娘の友達も二人来てくれた。
「Eat & Talk」のヒロミさんが、娘のために手作りのケーキを焼いてくださった。
ほんのりと甘く、塩漬けされた桜の花がアクセントになった、とても美味しいケーキだった。
友達と楽しそうに話をしている娘の姿を見て、ホッとしている自分がいた。
高校の合格発表もまだだし、これからの高校生活がどんなものになるのか…いろいろと不安はあるけれど、まあどうにかなるだろう。
友達と楽しそうに話をしている姿を見ると、なんとなくだけど、そう思えた。
あの日、まだほの暗い朝5時頃。
産気づいた妻を車に乗せて、病院へ向かった。
昼前に生まれた娘は、額にいくつものシワを寄せていて、まるでバカボンのパパのようだった。
だから妻と私は、娘のことをよくキナボンと呼んでいた。
そのキナボンが中学を卒業し、そして15歳になった。
卒業、おめでとう。
そして、15の誕生日、おめでとう。
これからも、ぼちぼち楽しんでやってくれ。
それで、イイのだ。
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