「 合格発表 」
「番号あったよ!」
一足先に中央高校へ向かっていた娘から、嬉しそうな声がスマホに届いた。
学校の近くに車を停めた私は、合格発表が掲示されている場所へ急いだ。
受験番号「7」の数字は離れたところからでもハッキリと見えた。
掲示板の前に、嬉しそうな表情の娘が立っていた。
娘が中学二年の夏、妻が空へ旅立った。
大人には計り知れない思いを抱え、娘はあの夏を過ごしたに違いない。
受験を控えた三年生の夏、私は仕事を辞めた。娘のため…でもあり、自分のためでもあった。
「彼女のためにできることをする」ことが自分のしたいことだったからだ。
男手一つで、とか、女手一つでという言葉は、なんとなく同情を誘うようであまり好きではない。
しかし現実には、全ての家事、進路相談や学校行事のことなど、自分が全てをやるより他なかった。
娘が家で受験勉強をしているのを見ることはほとんどなかった。学校や塾の宿題を仕方なさそうにやっているくらいだった。今の時代は、それが受験勉強になっているのかもしれない。
どうせ今の自分にはちんぷんかんぷんだし、勉強に口出しすることはほとんどなかった。
試験が終わった日、自己採点をした娘は「まあまあだと思う」と言っていた。
(ホントかな?)
発表の掲示板に「7」の数字を見つけるまで、ずっと不安だった。
そして「7」を目にした瞬間、私は嬉しさというよりも、救われた気持ちになった。
そう、自分は救われたのだ。
妻が先立ち、仕事を辞め、日々同じことを繰り返し、得体の知れない不安の中にあった自分を、娘が救ってくれたのだった。
点数開示という、自分が何点だったのかを教えてくれるシステムがあり、娘はその手続きのために講堂へ入っていった。
建築家「前川國男」が手掛けた講堂である。
(前川建築のある高校で勉強できるなんて羨ましいな…)
ル・コルビジェや前川國男の建築が好きな自分は、講堂の外で待ちながら、そんなことを勝手に思っていた。
講堂から出てきた娘に「どうだった?」と訊くと「7だらけだった」と笑っていた。
受験番号が「7」、国語、英語、数学の点数が全て「77」点だった。
「ラッキー7 すぎるべ、それ!パチンコかよ」
二人で大笑いした。
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この文章を、私は今新幹線の中で書いている。
アンサンブルコンテスト全国大会が開催されている福島市へ向かっている。
今日の夕方にステージに立つ予定だ。全国から選りすぐりのアンサンブルが集まる大会。
そう簡単に上位の成績を収めることはできないと思うが、少しでも自分たちの納得できる演奏をしたいと思う。
「ラッキー7」のチカラを借りながら。
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