故郷の風景
6月8日。久しぶりに鯵ヶ沢へ帰った。
生まれ故郷の鯵ヶ沢に、すでに実家はない。「帰る」という表現が正しいのかどうかはわからない。
しかし、自分にとって鯵ヶ沢という地は「行く」ではなく、やはり「帰る」の方がしっくりくる。
鯵ヶ沢の街に入った私の車は、かつての『山海荘』があった辺りをぐるっと回った。
山海荘の母さんが暮らしていた住宅も残っていたし、小さい頃に閉じ込められた蔵もまだ残っていた。だが、「やっこマリ」で野球をして遊んだ空き地にあった『稲荷様』は、解体され無くなっていた。
時間をおいて訪れると、やはり田舎の街も少しずつ風景を変えていた。
途中、五所川原でラーメンを食してきたので、少しだけ汗をかいていた。線路の反対側にある温泉に向かうために、再び跨線橋を上った。
昨年、生まれ故郷を襲った大水害。『鯵ヶ沢温泉 水軍の宿』も泥水に浸かり、しばらくは休業を余儀なくされていたが、現在は以前のような賑わいを取り戻していた。
私が小さい頃に通った『鯵ヶ沢温泉 山海荘』は、『水軍の宿』から少し離れた別の場所にあった。
雰囲気も「温泉」というよりは「地元の銭湯」であり、地元に人たちにとっても憩いの場であった。
( 以前書いたブログ → 「鯵ヶ沢の温泉 / 『山海荘』の初代女将」 )
現在の『水軍の宿』は随分と立派な建物になってしまったが、それでも湯に浸かり、少しだけ湯を舐めてみると、昔と同じしょっぱい味がした。
湯から上がった脱衣所で、少し開いた窓から涼しい風が入ってくると、これもまた昔と同じ匂いがした。
ただ、当然ながら窓から見える風景は違っていた。小さい頃は、開いた窓からは自分の住んでいる家が見えた。
『水軍の宿』を後にして、私は港へ向かった。
鯵ヶ沢の写真仲間と打ち合わせをする予定だったが、少しだけ時間があった。
港の駐車場に車を停め、後部座席に置いたトートバッグから「X100F」を取り出した。カメラを触るのはいつぶりだろうか。
小さい頃の遊び場は、川や山や空き地がメインだったので、海への特別な望郷の念はなかった。
しかし、鯵ヶ沢を離れ40年以上も経つと、やはり鯵ヶ沢といえば「海」という感覚を持つようになった。
夕暮れ時に見る鯵ヶ沢の港は、自分が小さい頃に見た港とは明らかに違う風景だった。
しかし、すでに生まれ故郷を40年以上も離れた自分にとっては、それは、昔から変わらぬ故郷の風景だった。
そう考えれば、昔の建物が取り壊され少しずつ変わっていく街並みも、温泉の脱衣所から見える風景も。
皆、昔から変わらぬ故郷の風景だったのだ。
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