【 村上善男 回顧展 】を終えて
「5月4日〜7日に村上先生の回顧展やるから、搬入と展示手伝ってくれない?」
村上研究室の木村先輩からメッセージがあったのは4月の初めだった。
ゴールデンウィーク中に特別な予定はなかった。高校生になった娘も、父親と二人でどこかに出掛けるというのは面倒くさいだけだろう。
先輩からの依頼を断る理由はなく、快諾の返事をした。
今回の【村上善男 回顧展】は、村上先生が1982年に弘前市へ移り住む直前の作品から、晩年に故郷の盛岡市に戻った後の作品まで、約50作品を展示。
これまで何度か回顧展を開催された田中屋画廊の田中久元さんと弘前学院大准教授の鎌田紳爾さんのお二人のコレクションを始め、岩手の「萬鉄五郎記念美術館」に収蔵されている作品も展示された。
また、回顧展にあわせて『村上善男ノート』も製本・販売された。

『村上善男ノート』
5月3日。作品搬入のこの日は、2017年1月に開催された【村上善男とその弟子達展】のメンバーとの再会となった。
(6年前のブログ → 「村上善男とその弟子達展」備忘録 )
今回は大型のタブローやオブジェも展示されたが、メインは版画(シルクスクリーン)だった。
あえて額装せずに、クリップで挟み込んで展示するという方法をとったので、展示はスムーズに済んだ。
回顧展期間中は、田中さんと鎌田さんお二人だけでの在廊らしい。私も微力ながら手伝いをすることを申し出た。
実は、木村先輩から手伝いの依頼があったとき、搬入の日から展示最終日まで手伝おうと決めていた。
幾つかの理由があった。
まずは、何と言っても恩師である村上先生の作品を間近に見ながら、そして村上ファンの方々とも接しながら、この時間と空間を共有できるということ。
また、この「弘前市立百石町展示館」は、私自身が最初に写真展を開催した場所であるということ。
そして最大の理由は、亡くなった妻が長い間勤め、お世話になったのがこの百石町展示館だったこと。
いろんな思いを持ち、私は会場に立った。
6年前のブログでも書いていたが、私は弟子と呼ばれるような仕事は全くしていなかった。写真は撮ってはいたが、個展を開くレベルのものではなかった。
だから、こうして村上先生の作品展のお手伝いをすることで、ダメ学生だったあの頃の自分を許してもらおう…そんな邪な思いがあるのかもしれない。
「接客し、お客様に良い気持ちになってもらい、商品を買っていただく」
そんなことを40年繰り返してきた自分。仕事を辞め、人との関わり合いが激減したことは、心にも体にもストレスフリーとなった。
しかし、人との関わり合いなくして生きていけないのも人間である。時間が経つにつれ、人との交流を求め始めている自分に気づいた。
もしかすると、この気持ちの変化も手伝い快諾のきっかけになったと思う。
田中さんと鎌田さんは芸術に造詣が深い大先輩。
近づきがたい存在だったが、共に時間を過ごすうちに、私自身のお二人に対する壁が少しずつ取り払われていくのも感じた。
土手町から一番町坂といえば、弘前の街では最も長い一本の商店街通りと言える。
津軽塗老舗の田中屋さんと私のいた店は、その通りの端と端にあった。そしてお互い数十年もの間、この通りで商いを営んでいた。
田中さんと話を重ねるうちに、共感するものがたくさんあることに気づいた。
鎌田さんとは不思議な縁があった。
私はずっと以前から鎌田さんのことを存じていたが、話をするようになったのは「弟子達展」のときが最初だった。
その後、顔をよく合わせるようになったのは、演奏会の会場だった。
鎌田さんは、かつては弘前オペラにも所属しておられた声楽のスペシャリストである。
とても足元には及ばないが、私も長年歌をやってきた人間だった。合唱祭などの会場でお会いした際に、お話をするようになった。
先般、弘前れんが倉庫美術館で開催が始まった【大巻伸嗣 個展】においても、鎌田さんも私もそれぞれ「歌」と「声」で作品参加している。( → 【大巻伸嗣 地平線のゆくえ】〜弘前れんが倉庫美術館〜 )
鎌田さんは、若い頃にプーランクとフォーレを研究するためにパリへ留学されたそうだ。
私が仕事で何回もパリに行ったことや、鎌田さんが住んでおられた辺りに私の常宿があったこと。私もプーランクが大好きなことなどを話すと、鎌田さんも嬉しそうにいろんなことをお話ししてくださった。
今回の回顧展では、版画(シルクスクリーン)の購入が可能ということもあり、会場は終日賑わいをみせた。
洋服屋をやっていた頃のお客さんも来場してくださったが、思いのほか村上作品のファンが多く、久しぶりに話をすることもできた。
回顧展にあわせて販売された『村上善男ノート』も多くの方に買っていただいた。ありがとうございます。
自分も長年商人だったサガが出てしまい、ついつい接客をしてしまったが、少しは売上に貢献できたのではないだろうか(笑)。
もちろん私自身も版画を購入した。

『卍町・紙漉町に釘打ち』
先生の代表的な作品名でもある「卍町に釘打ちシリーズ」を1点。

村上研究室に所属した1983年の作品
そして、私がちょうど構成研究室に属していた頃に刷られた「貨車シリーズ」の小さな版画を1点。
計2点を購入した。
実は、村上作品を手にしたのは初めてではなかった。
会場の一番端に青みがかった作品が展示されていた。『三色に耳鳴りの図』と題されたシルクスクーリーン。
12年前に、妻が私の誕生日にプレゼントしてくれた村上作品と同じシルクスクリーンだった。
会場の一番端に展示されたその作品は、私の仕事ぶりをじっと観察しているように見えた。