toggle
2017-04-30

桜 と モダニズム ③新しい前川國男 と 弘前の桜


 

途中、挫折しかかった今回のテーマ。なんとか最終章になりそうです。前後編で終わる予定でしたが文章力の無さも手伝い、3部作になってしましました。(よろしければ、第1、2章もぜひ)

 

 

さてさて、建築家が読むような専門誌ではなく、インテリアやファッションに興味がある人たちが読むような雑誌、に「前川國男」の文字が現れるようになりました。

またこれは偶然なのかもしれませんが、ほぼ時を同じくして弘前出身の現代アーティストの奈良美智さんの「AtoZ」という個展が、吉井酒造煉瓦倉庫で開催され始めました。巷のファッション誌やアート誌が「弘前の建築やアート」を取り上げ始め、洋風建築や禅林街を巡るというのがメインだった弘前の観光が、少しずつ変化し始めたのもこの頃からだったと思います。

吉井酒造煉瓦倉庫と桜

それにしても前川作品、最初の木村産業研究所から最後の斎場まで、ほぼ50年もの歳月があります。それを考えますと、弘前という大きなランドスケープを最初から念頭においてデザインを考えたわけではないと思います。それでも弘前公園内に3施設、公園に隣接するのが2施設あることを考えると、少なくとも弘前公園周辺のランドスケープも同時に考慮しながらデザインしていたように思えます。

もし時系列的に偶然そうなったとするならば、これらの建築を前川國男に依頼しつづけた当時の担当者はすばらしい先見の持ち主だったのではないでしょうか。

弘前市立博物館

近年になり、SNSなどの影響もあると思うのですが、弘前の桜が随分と注目されています。そしてその桜が咲き誇る公園内に前川作品が佇んでいます。主張しながらも、その景観に溶け込んでいます。溶け込んでいるというのは、もちろん数十年という歴史のなせる業かもしれません。

正直なところ、有名な建築家の作品など、知る由もなく通り過ぎる人がほとんどでしょう。でもそれが建築家のすばらしさかもしれません。「なんでこんな素敵な場所にこんなのがあるの?」なんて訪れる多くの人に思われては、公共建築としては失格です。

緑の相談所と見事な桜の古木

ここからは自分の意見です。異形なもの、グロテスクなもの、その場にふさわしくないもの、そういったものは多くの人に、社会に拒絶されます。誰からも支持されるようなものは良いモノとして、評判を呼びます。

ただ…ファッションでもアートでも、そして建築でも同じことが言えると思いますが…周りから叩かれるようなものが作られたときや流行ったときは嫌悪の目で見られますが、私は仕事柄、なるべくそういったものにでも興味を持って見るようにしています。で、やっぱり不出来と烙印をおされることの方が多いのですが、ごく希に数十年経ってから評価されるものがあったりします。

前川作品はどうだったのでしょうか?竣工当時のことはよく知らないので、安易なことは言えませんが、もしかしたら「変な建築ができたな~」と思った人もいたのでしょうか?誰がみても明らかに酷いものは、やはりすぐに消化され、スクラップビルドされていくのが世の常ではありますが、万人に「それなりに受けるそこそこのデザイン」というのはつまらないと思います。ファッションはそのへんが建築とは違い、ベーシックなものを着たい日もあればアバンギャルドに攻めたい日もあったり、ととっかえひっかえできますが、建築はそうはいきません。

だから建築家という「アーティスト」が必要です。「こういう建物を作れば、とりあえず売れるでしょ!」ってかんじで、商業施設が次々と建てられる昨今。公共建築になると多くの税金も注ぎ込まれます。自分の街の規模やチカラをしっかりと把握できずに、妙にりっぱな箱モノだけができる…というのはよくある話。

年月という線でみたとき、多くの施設が点のデザインで、いずれ破綻したり廃墟になったりということが多い世の中です。これは結果論で論じられることが多いと感じますが、そういうことではないと思います。つまり時間の流れという線を数十年レベルでデザインできる「建築家」や「ランドスケープデザイナー」が街には必要ということです。きっと彼らは数十年の過去をみてきているだろうし、数十年先もみれるかもしれません。少なくとも我々素人よりは。

ですから、県、市などの役所は、そういった才能の持ち主をしっかり把握しておくべきだと思います。トップの人間がそれを判断できないなら、判断できる人間を適所におくべきです。そうしないと私たちの税金は有効に生かされないし、また街も衰退していくだけです。青森県内にも、最初の評判はよかったが次第に有効活用されず、破綻、廃墟になった施設が多く存在します。それは景観的に大きなマイナスであり、そこで生まれ育った子供たちにとっていい思い出にはならないと思います。

朝焼けの市民会館と桜

弘前もこれから新しい美術館構想など、期待に胸膨らむような事業がたくさんあると聞きます。そこで必要なのは、やはり「前川國男」がいれば申し分はないのでしょうが、少なくとも「新しい前川國男」に勇気を持って依頼する「人間」がいてほしいと思います。そうすれば、「弘前の建築」と「桜」の光景が、弘前のいろんなところで楽しめるのではないでしょうか。

 

 

3日間にわたり、お読みいただきありがとうございました。柄にもなくクソ真面目なブログを書いてしまい、反省中です。


タグ:
関連記事

コメント4件

  • 古川賢一 より:

    芸術・文化にパトロネージュは不可欠ですね。誰がパトロンになるかは、王侯貴族、大名、富裕層、そして企業と、これまで時代によって違いました。
    しかし、これからは見る目のある一般市民が、一人では微力ではあっても、同好の士が集まって支援できるあるいは発信できるようであってこそ、市民文化の成熟といえるのではないでしょうか。
    我々に、そういうものはお上がやるものと言う意識がある限り、青森の不毛なインフラ製作は今後も続くでしょう。

    • ferokie より:

      古川先生、おっしゃるとおりですね。トップ任せではなく、市民が意識を持たないと市民文化全体の向上は見込めないかもしれません。

  • Takashi Maeda より:

    個人の住宅であれ公共の建築であれ、街や歴史や地形や環境を一緒に考えデザインすることが、基本だと思います。それを実行できるのが優れたデザイナーで、前川國男は数少ないその一人だったと思います。ある人に言われました。動物は動くことができるけど植物は動くことができない。でも植物は動物を自分の周りに集める力を持っている。建築はそんな植物のような存在でありたいね!

    • ferokie より:

      基本を実践するということは、最も大切なことであり、かつ難しいことなんですね。最後の植物のお話…胸にグッときました。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。