「 vintage 」 / ヴィンテージについて思うこと
今回の「ポパイ」を見たら古着を特集していた。
「DeeLIGHT CALTRAIN」では、古着は扱ってはいないが、たまにヴィンテージをリメイクした商品などが店に並ぶことはある。
リメイク商品ではあっても、基本的には全て新品として店に並べている。
だから、ひとつの情報として古着を勉強することはあるが、お客さんに古着スタイルをプッシュすることはない。
もちろん、いろんな側面からの古着の良さに理解はあるつもりだが、やはりお客様にはお店の商品を買っていただかないと、明日のラーメン..いや、ご飯が食えないのだ。
数年に一度、古着のブームが来たりするが、昨今の古着ブームはかつてヴィンテージ古着が流行った頃に比べると、趣が少々異なる様子。
私が大学生だった80年代に、古着のブームがあったようだ。
原宿に現在老舗と言われる古着屋がオープンしたのが、この頃。
「シカゴ」「サンタモニカ」「VOICE」「バナナボート」「フェイクα」
しかしその頃の古着屋は、もちろんレアなヴィンテージと呼ばれるものも扱っていたのかもしれないが、どちらかといえばアメリカの空気を扱っていたと思う。
70年代頃から、若者はアメリカのライフスタイルに憧れ始め、当時オープンし始めた古着屋はそういった若者をターゲットにしていた。
その頃のアメリカの直輸入製品は、レートの関係もありまだまだ高かった。だからアメリカのライフスタイルに憧れる若者は古着屋で、中古のジーンズやネルシャツを買ったのである。
田舎の青森には、まだそういう感覚の若者はほとんどおらず、IVYを真似て作っていた日本のブランドを着ていた。
私自身も学生の頃は、他人が一度着たものを着るというのは少し抵抗があったので、東京に行っても古着屋を回ることはあまりなかった。
たまに買うとすれば、ヨーロッパの軍モノ。フランス軍やスエーデン軍のコートやジャケットはカッコいいものがあり、古着というよりはデザイナーズものを買う感覚で探していたと思う。
その後、私も服屋に勤める人間となった。
しばらくすると世にヴィンテージブームが訪れる。
アメリカ人よりもアメリカの古着に詳しい、蘊蓄(ウンチク)好きの日本人=ヴィンテージマニアが作り出した一大ブームである。
リーバイスのオールドジーンズ、いわゆるXX(ダブルエックス)やBIG-Eをはじめ、Leeの赤タグや黒タグなど、まずはデニムから火がついた。(意味わからない方はスルーしてください笑)
当然、Gジャンも。1stや2ndモデルなどは、10万、いや状態が良ければ20万オーバーの値も付いた。
さらにMA-1やN-3Bなどの軍モノ。そして、チャンピョンのスウェットシャツはランナーズタグが古いとか、タウンクラフトのネルシャツがいいとか、もうすべてのアイテムがヴィンテージの対象となったのである。
そして極め付きは、ナイキやアディダス、コンバースのスニーカー。
昔のランニングやバスケットボール、テニスのスニーカー。ナイキならコルテッツやワッフルトレーナー。アディダスならスーパースターや世界の都市シリーズ。コンバースならやはりチャックテイラー…と。
スニーカーなどは、服に比べても消耗度が激しいので、特に他人が履いたものは買う気がしなかったが、でもデッドストックとなるとレアなモデルは10万を超えたものだ。
当然のようにミーハーだった自分も、しっかりとブームにのってしまうことに何の迷いもなく、東京の古着屋をまわったり、海外出張にいけば蚤の市をまわり、とヴィンテージを買い集めた。
オールドのジーンズは20本くらいあっただろうか。MA-1やL-2Bなどのフライトジャケットも好きで、10着ほど持っていた。
スニーカーは自分でも呆れるほど買い集めた。コンバースとアディダスが好きだったので、海外出張に行くとのみの市に行ったり、古そうな靴屋さんを覗いたりした。
ヨーロッパは古くから「のみの市」などがあって、古いものを大切にする文化がある。
だから、価値のある食器や美術品などは高価なものがあるが、いわゆるカジュアルな古着に高い値段が付いていることはなかった。
当時の西ドイツ製のアディダスのジャージを買ったり、チェコスロバキア製のアディダススニーカーを格安で買えた。
ところが、日本でのヴィンテージブームのおかげで、海外でも価値のある古着は高騰しだし、また日本人バイヤーがどっさり買い付けてしまうので、しだいにパリやロンドン、ニューヨークといった大都市では、掘り出し物は激減してしまった。
そして、ヴィンテージの古着は、世界の中でも東京に一番ある!という時代になってしまった。
ヴィンテージ古着のブームが落ち着いたとはいえ、おそらく今でも東京が世界一だと思う。
そして、かつてヴィンテージに翻弄された人々の「たんす」に、価値ある(かつては?)古着が眠っているのも、日本が一番であろう。
あれから20年以上がたち、世の人は、ベーシックで無難なお手頃プライスの洋服を着る人が多くなった。
何十万もする、ジーンズやGジャンを買う人はほとんどいない。
でも、東京の古着屋さんに行くと、まだそういった高い古着がお店の壁の高いところに飾られている。
かつてヴィンテージに熱狂した若者も、今は40代、50代になっている。なかにはお金に余裕のある人が買うのかもしれない。
若い時に洗礼を受けたスタイルというのは、なかなか変わらないものだ。
きっと所ジョージさんのようなライフスタイルに憧れている親父もけっこういるのだろう。
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ここ数年、また古着のブームが来ているようだ。
もちろん、かつてのヴィンテージブームのような、価値ある(まあ、業界的に)古着を求める人もいるわけだが、昨今の「あまり洋服にお金をかけない…けどオシャレはしたい」若者たちが、単なる古い服を安く手に入れる、という流れ。
原宿あたりにもそういったお店はあって、数百円で売られたりしていて若者が気軽に買っている。
ある意味、かつてのパリやロンドンの若者がそうやって服を買っていたのに雰囲気は近く、それは文化が成熟したかのように見える。一見。
しかしよく見ると、値段の高い安いに関係なく愛着を持って着ていた昔とは違い…買っては捨て、あるいは売り、の消費の繰り返しをしているだけようにも思えるのだ。
それがいいのか悪いのかはよくわからないけれど、善悪じゃなくて、それが今の普通のことなのかもしれない。
そしてもうひとつ、新しい古着の流れがある。
それは、かつて僕らが必死に追い求めた、90年代のデザイナーズブランドの洋服だ。
海外のデザイナーでいえば、「マルタンマルジェラ」「ラフシモンズ」「ヘルムートラング」
どれも、すべて自分の店でも扱っていたブランドだし、「マルジェラ」は今でも扱っている。
とくに「ラフシモンズ」は当時思い入れが強かったブランド。彼が始めてパリでコレクションを開いた頃、現地で直接買い付けた。ほんとにカッコよかったし、パリで直接買い付けできることに興奮したのを覚えている。
そんな当時自分の店で扱っていたブランドが、ヴィンテージ古着として今では売られるようになってしまったのだ。
なんか悲しいというか、時の流れを感じるというか…まあ、そんなものかもしれない。
まさか、当時着ていた服がヴィンテージになるとは、これっぽっちも思っていなかったので、今は手元にあまり残っていない。
親戚にあげたりとかしちゃったし。
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ヴィンテージの価値、古着の価値、っていったい何なんだろう。
いまだにわからない。
金額は別物になるが、何百万や何千万もする骨董品や装飾品と同じで、需要があるから値段もつくのだ。
それを趣向する人がいるというだけの話なのかもしれない。いろんな蘊蓄を語って仕掛ける人もいるから、そういう趣向の人も絶えずいるのかもしれない。
そう考えると、世の中すべてのものに、ヴィンテージってあるなあ。
家具、お酒、車、カメラ、オーディオ、本…もしかしたら化石とかも。
「なんであの人は、あんなものに高い金はらうんだろう?」と思ってみても、おそらく誰もが自分なりに大切にしている「ヴィンテージ」があるのかもしれない。
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