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2019-09-16

「小・中学校音楽発表会」 & 「カルチュアロード」での経験


 

9月15日、弘前市民会館にて「小・中学校音楽発表会」が開催された。

娘の所属する合唱部も参加するのだが、和徳小合唱部は毎年「重唱」と「合唱」のふたつのプログラムに出演していた。

発表会そのものは午前中に全てが終わる。朝7時に音楽室に集合し、曲の練習をしたり、曲目紹介のときに話す内容を確認したりと、朝早くからバタバタと慌ただしい。

9時半頃には市民会館に向かう。今回は、第一中学校3年生が全員で歌うというのがプログラムの最初にあったせいか、早い時間から駐車場は混雑していた。

会場に着くと、市内のいくつかの学校の子どもたちの姿がちらほらあった。

しかし、コンクールとは違い、和徳の子どもたちも随分とリラックスした様子だ。コンクールで青森や名取に行くと、和徳の合唱部は人数の少ない方の部類に入るが、弘前市内ではもっとも人数の多い学校となる。ほとんどの小学校は10人前後だ。

ホールに入ると、私は子どもたちから少しだけ離れたところに席を取った。そしてビデオをセットした。今回、ビデオを撮る係は、部長のお父さんが担当していたが、それとは別に私も撮ることにした。

娘が「重唱」で歌うことになっていたからだ。娘にとっては初めての「重唱」だった。

 

プログラムの一番目の第一中学校3年生による「大合唱」が終わった。200人ほどによる「大合唱」は大迫力だった。

そのすぐ後が、和徳小合唱部による「重唱」だった。200人のあとに、たった4人で歌うのだ。

 

自分が子どもの頃だった頃を思い返してみても、会場の大勢の人たちの前で、何かを発表したことがあっただろうか。

そういえば、小学校の時に弁論大会があり、講堂のステージに立って発表したことがあった。書いてあることを読むだけなのに、ひどく緊張して声が震え、まともに話すことができなかった記憶がある。

それに比べれば、数倍大きい市民会館のステージに立ち、多くの人の前で「重唱」を歌うのだ。ひとり1パート。自分が音程やリズムを間違うと全体の演奏が崩れてしまうかもしれない。

小学生だった自分であれば、気持ちが持たずに逃げ出してしまうだろう。

 

舞台向かって右側から4人が登場する。娘は最後に出てきた。一番右側のアルト。

他の3人は、4〜5年生の時から「重唱」を歌っている経験がある。娘だけが初めての重唱ステージだった。

舞台の袖で、後輩たちが曲目紹介のアナウンスをしていた。ズームされたレンズの向こうで、娘は笑顔を浮かべていた。

「礼」と娘が小さく声を発した。ソプラノの女の子の合図とともに、ピアノが「ポン」と小さな音を出した。

ソプラノ二人が歌いだす。それにアルト二人が続く。

「一番初めは一の宮〜、二は日光の東照宮〜、三は佐倉の宗吾様〜、四はまた信濃の善光寺〜」

NHK全国音楽コンクールでの自由曲「無伴奏同声合唱のための「七つの子どもの歌」から『一番はじめは』」を歌った。

最初はユニゾンで始まるが、中盤はソプラノと同じ音域を各パートが追いかけながら歌う。

地声の低い声と裏声の高い声は出せるが、ちょうどボイスチェンジとなる中音域はしっかりとした声を出せない。娘の声質は、決して重唱やソロ向きではない。

それでも、レンズの向こうの娘は、鼻で思い切りブレスをし、口を大きく開けて歌っていた。

最後、4パートによる大きなハーモニー。娘は一番下の低い音をビシッと出していた。普段、男声アンサンブルで一番下の音を担当している自分にとって、和音の一番下の音をビシッと鳴らしてくれている…それだけでも十分嬉しかった。

小学生4人とは思えぬ、大きな音楽で演奏を終えた。よくやった。

 

重唱 「一番はじめは」

お昼、市民会館の別棟をお借りして、みんなでご飯を食べた。

「重唱」も「合唱」も素晴らしかったし、他校の演奏も人数は少ないながらも素晴らしい演奏だった。お弁当を食べる子どもたちは、誰もが笑顔だった。

 

午後はみんなで公園の濠沿いを歩きながら、土手町に向かった。

実は、土手町で開催されている「カルチュアロード」での演奏を依頼されていたのだ。

蓬莱広場にはすでに多くの人が集まっていた。合唱部の父兄や、同級生たち。そして、退職されたかつての先生方の姿もあった。

市民会館に比べると、蓬莱広場の雰囲気は和気あいあいとしている。演奏が始まると、子どもたちはリラックスした表情で、次々とノリのいい歌声を披露してくれた。

最後の曲で「ブラヴォー!」と大きな声が上がった。大きなアンコールの拍手が鳴り響いた。アンコールは「上を向いて歩こう」を、手話付きで歌った。

コンクールもいいけど、こういうのもいい。大きなステージもいいが、地元の街の人たちと一体になりながら大きな笑顔で思いっきり歌う。

こういったライブ感のある演奏を経験すること。音楽をやる人間にとって、それはとても大切で、何事にも変えられぬ貴重な経験だと思う。

 

大きな市民会館のステージで「重唱」を歌う。広場で多くの人々を目の前にして歌う。娘にとっては、緊張と楽しさを味わった一日だったろう。

しかし、「あの一日は、なんか貴重な一日だったなあ」と思える日が、いつか来るに違いない。

 

 


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