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2019-12-17

変貌する渋谷の街 / 新生「PARCO」


 

先月、渋谷に新しい「PARCOパルコ)」がオープンした。

「PARCO」と言っても、今の若者には特別な思いはないだろう。しかし、かつてお洒落が大好きだった現在の40代、50代にとって「PARCO」…特に「渋谷PARCO」は、特別な存在であった。

弘前で一人暮らしをしていた自分にとって、デパートといえば「中三」か「カネ長」、ファッションビルといえば「ハイローザ」だった。

「西武」や「PARCO」とは、いったいどんな建物なのだろうか。雑誌のポパイを見て想像を膨らませるしかなかった。

1980年代初頭、世の中は「DCブランド」ブーム。「PARCO」には、ギャルソンやヨージだけでなく、パーソンズやヒステリックグラマーなど、ありとあらゆる東京ブランドが揃っていた。

当時、ウンチクめいたインポート物(実はよくわからないのだけど)が好きだった自分は、「DCブランド」には懐疑的だった。「とんねるず」が派手なパーソンズを着て人気を博していたが、どうもあのファッションは馴染めなかった。

しかし、ポパイ大好きだった自分は、糸井重里が仕掛ける「西武」や「PARCO」のキャッチコピーを目にするたび、否応無しに大都会東京に対するコンプレックスを抱いたのだ。

 

ジャイゴ青年に都会コンプレックスを抱かせた「PARCO」だったが、多くのセレクトショップの台頭により、次第にその存在感は薄れ始めた。やがて、「渋谷PARCO」は、知らぬうちに解体されていた。

都内には、どのエリアに行ってもセレクトショップがある。伊勢丹のような百貨店もあれば、東京ミッドタウンのようなファッションビルもある。「PARCO」がなくなっても困らない。

そんなファッションの館だらけの東京渋谷に、「PARCO」が復活、オープンした。かつてPart1とPart3があった跡地に、ひとつの大きなファッションビルとして建つその姿は、新たな渋谷のランドマークとなった。

 

 

渋谷のスクランブルを渡り、公園通りをそのまま歩くと新しい「PARCO」に辿り着くが、あえて渋谷センター街の方に向かった。センター街を抜けると細い坂道がある。

80年代、その細い坂道=スペイン坂を上るのが好きだった。坂の途中には、インポートジーンズで一世を風靡した「Louisette (ルイセット)」があった。この細い坂道に長蛇の列を作ったのは、ファッション業界では有名な話。

その坂道を登りきったところに、Part3があった。しかし、令和元年は巨大な新生「PARCO」が建って、いや、立っている。

 

昨今のファッションビルには、大手のセレクトショップがテナントとして入ることが多く、どこも似たり寄ったりのイメージが強かった。が、「PARCO」は違っていた。

個性の強いデザイナーズブランドがせめぎ合い、ハレーションを起こしている。海外の高級メゾンも然り。 

 

UNDERCOVER

階が上に行くにつれ、ブランドは若さを増しストリート色が濃くなっていく。さらには、「Nintendo」のアンテナショップや「価格.com」のカフェなど、ネット社会を反映したショップもあり、むしろそのようなショップの方が多くの若者で賑わっていた。

フロアの片隅には、かつて「PARCO」の仕掛け人でもあった糸井重里が運営する「ほぼ日ショップ」もあり、女性客が本や手帳を手に取っていた。

ブランドの集積、ショップのビジュアル、フロアの構成、全てにおいて「PARCO」らしいトンがりを徹底している。30年前に狂騒した方々だけではなく、これからの若者の心もグッと掴むだろう。

 

だが、この新生「PARCO」が成功なのかどうかは、まだまだわからない。なぜならば、東京、なかでも渋谷という街は日々変貌しているから。

数年前に駅前に「渋谷ヒカリエ」が建ったと思ったら、つい最近、複合施設「渋谷スクランブルスクエア」」がオープンした。今現在は明治通り沿いの宮下公園が新しい施設に生まれ変わるべく、巨大なシートに覆われている。

出張に出ると常にどこかで大掛かりな工事をしていて、次に出張に出たときにはすでに巨大なビルに生まれ変わっている。

それが渋谷という街。

 

しかし、変わらぬものもある。

いつの時代でも、老若男女問わず、ぶっ飛んだ格好をする人間のいる街。

ジーーーーと見る人、見られる人。

それも渋谷という街。

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