『星と花と小鳥と』 〜響き合う音と言葉〜
歳をとると、若い頃の記憶は誇張されて記録される傾向があるらしい。
客席に座り、周りを見渡す。かつて映画館だった空間は、ぼんやり残る記憶よりも遥かに小さい空間だった。
私の席の前には、高校の時の音楽部の一つ下の後輩、二つ下の後輩、三つ下の後輩が並んで座っている。
横には五つ下の後輩、後ろには六つ下の後輩が座っている。さながら音楽部OBOG会のようだ。
9月18日、五所川原市のフォレストブルーにて、ピアノと歌と朗読による共演が開催された。タイトルは『星と花と小鳥と』 〜響き合う音と言葉〜。
ピアノは、以前このブログでも紹介したことのある、五所川原市出身のピアニスト渡辺秋香さん。( → 『現代音楽』と『ペペロンチーノ』 )
歌は、声楽家の枝並雅子さん。朗読は、太宰治の朗読などで有名な原きよさん。お三方による共演ステージ。
ご覧のように、プログラムはレトロな文庫本を思わせるデザイン。
大学のときに在籍した美術科構成研究室では、本や楽譜の装幀を学んでいた。
だから、演奏会のプログラムデザインや写真展のフライヤーなど、つい気になってしまう。
だけど今回ばかりは、素敵なデザイン以上に、秋香さんの直筆サイン入りというのが自分的に重要。永久保存版となった。
(演奏会後にサインしていただきました。ありがとうございます!)
前半の第一部は、三人それぞれによるステージ。
秋香さんによるピアノは、私の大好きなプーランク。プーランクの音楽は美しいのだけれど、ロマンチックというよりは洗練さを感じる。
楽しさや軽さがあるかと思えば、ときに不安や陰鬱を感じさせる。自分の好きな洋服スタイル「Classic & Punk」に通ずるのも好みの所以かもしれない。
秋香さんのピアノは、まるで人間が歌う「歌」そのものを聴いているかのような感覚を覚えた。
ソプラノの枝並さんは、ドビュッシーの小品を5曲。
プーランクと同じフランス出身の作曲家だが、歌われた曲のうちの4曲が、これまたフランスの詩人ポール・ヴェルレーヌによるものだった。
ヴェルレーヌといえば、大学の頃に歌った男声合唱曲『秋の歌(月下の一群より)』を思い出す。
高音をさらりと歌い上げる枝並さんの高度な技は素晴らしく、そしてフランス・パリの哀情を情感豊かに表現されていた。
原さんの朗読は、芥川龍之介と中原中也の詩を2編。
中原中也の『湖上』という詩は、中也の『在りし日の歌』という詩集に収録されているのだが、この『在りし日の歌』という男声合唱組曲(多田武彦作曲)が、これまた私の最も好きな男声合唱曲のひとつでもあった。
原さんの声は、(マイクを使っているのかな?)と思ってしまうほど心地よく響き、聴く側の中にすっと入ってくる。
朗読って、なんか憧れます。
それにしても、お三方ともなんとお美しいことか。
演者に美貌を求めるのは間違いかもしれぬが、美しければ、表現もより一層表美しいものとなる。
休憩を挟んでの第二部は、三人による共演のステージ。
小川未明の書いた物語『王さまの感心された話』を原さんが朗読。その話の中に出てくるのが「星と花と小鳥」で、それらを連想させる作品を秋香さんと枝並さんが交互に表現していく。
一見物静かに見えるステージではあるが、三人の感性がそれぞれを主張し、そして共鳴し合い、空間は不思議なエネルギーに包まれた。
第二部が終わると、まるでひとつの映画を観終えたような気持ちになった。
ロビーに出ると三人が、お帰りになるお客さんたちに挨拶をしていた。
我ら音楽部のOBOGは最後に挨拶に行った。何十年ぶりに会うかつての仲間の顔を見て、秋香さんはとても嬉しそうな様子だった。
音楽部後輩の皆さま、勝手に写真を載せて申し訳ありません。
先輩のワガママということで大目にみてください。でも、みんな嬉しそうな顔してるし、ヨシとしましょう!
歌を歌う者として、ピアノを聴いてみるというのは、とても大切なことだと感じたし、
写真を撮る者として、朗読を聴いて、とても大切なことを教えてもらった気がした。
ひとつのことに集中し、邁進することは素晴らしいことだ。
しかし、たまにはいろいろな芸術に触れ、ふと自分を俯瞰してみることも大切なこと。
そう感じた一日であった。
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