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2022-12-18

令和4年度『声楽アンサンブルコンテスト 青森県大会』


連日の雪かきで、身体がガチガチになっていた。

それにしても、アンコンの直前は決まっていつも大雪だ。たぶん、昨年も同じようなことを書いていたと思う。

(一年前のBLOG → 【 Vocal Ensemble Competition 】青森県大会

 

そして、今回の12月はちょっとした事件があった。例の美味しい冬日春菊を作っている家人が、作業中に梯子から落下して大怪我をしてしまったのだ。

なんとか家の中は松葉杖で歩ける状態なのだが、それでも転んだりするといけないので、なるべく私も家の中にいるようにしていた。週2回の大学病院でのリハビリにも付き添っている。自分が仕事を辞めていたのが、不幸中の幸いだったかもしれない。

ただ、2週間ほど練習は休むこととなったし、本番当日の練習もお休み。ステージ直前のリハーサルからの参加となった。

 

大釈迦あたりは猛吹雪で、ホワイトアウト寸前。雪かきでカチカチになっていた身体がさらに固くなる。

これはいかん。首や肩をゴリゴリ回し解しながら、デカい声で歌う。どうせ吹雪で周りには聞こえないだろう。

青森市が近づくにつれ、天気は少しずつ回復し始めた。

 

今回「Apio」で歌うのは、ビクトリア(Tomás Luis de Victoria  1548〜1611)の『Offertorium』という曲。

「Apio」が歌い続けているルネサンス期のポリフォニーである。11人で6声の曲を歌う。たった一人で歌うパートもある。

自分がたった一人で歌わなければならないとなれば、逃げ出しそうになるが、これまた幸いなことにBASSには人数がいた。

 

リハーサルを終えステージ脇に行くと、前の団体が歌っていた。

以前、「Apio」でも歌ったことのあるルネサンスポリフォニーを歌っていた。なかなかいい演奏だと思った。

 

今回は、全員黒で決めていた。ただ、黒のシャツの場合はタイを着用するという決まりだった。

私は「Dr. Martens」のポストマンシューズを履いていた。普通の「Dr. Martens」よりもゴツめのヤツだ。

イギリス製のデッドストックを見つけ購入したポストマンで、いつかステージで履こうと思っていた。PUNKバンドが「Dr. Martens」を履くのはわかるが、アンコンでコイツを履くヤツはいないだろう。

オールブラックにドクターマーチンということで、少しロンドンぽい雰囲気にしようと思いタータンチェックのタイを締めた。

30年以上前に買ったタイ。アメリカのブランドだったがイギリス製のシルク生地で、ロンドンぽい雰囲気が好きでよく身につけていた。

今日は、十数年ぶりにこのタイを締めた。

 

 

 

我々の番が来た。

昨年と同じように3列でコンパクトに並ぶ。

女声ソロの出だしで曲が始まる。徐々に外声が加わり、曲が大きくなっていく。

 

慣れているようで、なかなか慣れないのがステージだ。

リラックスして歌っているようでも、やはり身体は少し硬くなっていて、練習の時のようにはなかなか歌えない。

練習の80%でもチカラが出せれば良い方ではないかと思う。逆に言えば、80%のチカラを出せるよう、日々の練習があるのだ。

いい演奏ができたのかどうか、自分の耳ではよくわからなかったが、最後はしっかりと歌い終えることができたように思った。

 

新型コロナウィルスというものが出現してから、演奏後の成績発表や閉会式はなくなっていた。

メンバーの皆さんにお疲れ様の挨拶をして、私は一足先に帰途に着いた。帰り道もやはり雪が舞っていた。

 

途中コンビニで少し高級なブルーマウンテンの珈琲を買って飲んだ。

珈琲を飲みながら、往路同様に雪が舞う大釈迦に差し掛かった時、携帯が鳴った。

「ヒロキちゃん!」

藤森くんからだった。「Apio」のメンバーの藤森くんは東京在住だったが、アンコンの時はいつも駆けつけてくれた。

五所川原高校音楽部の後輩だったが、彼は私のことを何故か「ヒロキちゃん」と呼んでいた。

「金賞だったよ!金賞一位だったよ!全国大会だよ!」

「えー!まじか!」

「うん!また頑張るべし!ヒロキちゃん!」

 

還暦記念に歌仲間から頂いた、チャリイラストの赤ワイン

 

前々回はコロナ禍による不参加、前回は福島での地震による中止…と、金賞一位を獲得していながら、全国大会では歌えなかった。

今回こそは、なんとか全国のステージに立って歌ってみたいなあ。

あ、還暦記念だな、コリャ。

 

 

 

 


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