ツール・ド・ツガル / リハビリライド「大鰐ロイヤル激坂」〜リフト乗り場でギブアップ
さすがにもう雪が降ることはないだろう…というわけで、先日タイヤ交換をした。
弘前から大鰐へ向かう途中にある、友人の車屋さんにお願いをしたのだが、この時期に「大鰐」と聞くと妙にムズムズしてしまう。ムズムズしたままでは身体に良くない。私は、車の後部シートを倒し、MTBを積み込んだ。
タイヤ交換は1時間ほどで終わるらしい。MTBであじゃら山をぐるっと一周してくれば、ちょうどいいかもしれない。
友人に挨拶をして、私は大鰐に向かって走り出した。風は少し強いが、青い空が広がり絶好のツーリング日和。
大鰐の街が近づいてくる。すでに雪の消えたスキー場がの薄茶色の芝が、身持ちよさそうに日光浴している。
(当分の間は、あの激坂を上るのは無理だろうなあ)
数年前、岩木山ヒルクライムにエントリーしていた頃は、シーズンに2〜3度、この「ロイヤル激坂」に挑んでいた。この激坂を上りきったときの達成感は格別なのだ。(2020年の登攀 → ツール・ド・ツガル / 初夏のロイヤル激坂 )
(今年は一回くらいはチャレンジしてみたいな)
そう思いながら、あじゃら山を一周し碇ケ関へと向かう路を走った。
「何を言ってるんだよ。おいでよ。おいで〜」
どこからか、変な声が聞こえた。走っているのは自分一人だ。
「グダグダ言わずに、走ってみればイイんだよ」
変な声が続けざまに話しかけてくる。私は声を無視した。
直進すれば碇ケ関へ向かう路の交差点で、私の身体は左にハンドルを切った。そしてそのまま大鰐の街の中に入っていった。
変な声を無視したつもりだったが、再びムズムズしだした身体は、あの陽を浴びた薄茶色の芝に向かって走り出していた。
95%の「無謀だ」という思いと、ほんの5%ほどの「もしかしたら」という期待が入り混じったまま、私は激坂を上り始めた。
MTBには、前のギアが3枚ついている。一番軽くすれば、ロードよりは回せるはずだ。そんな淡い期待があった。
「さかえ食堂」の前を通る最初の激坂。早くも前のギアは軽いものにシフト。後ろのギアで少しずつ様子をみる。
が、あまりの勾配に「さかえ食堂」を通過したあたりで二番目に軽いギアまでチェンジ。軽いのでなんとか脚は回るが、全く前に進まない。MTBでここまで軽いギアで走ったことはなかった。
あ、一度だけあった。
このMTBにチャイルドシートを装備して、5歳の頃の娘を乗せてこの坂を上ったことがあった。最も急なところで、後ろにひっくり返りそうになったっけ。
その最も斜度のキツいところに差し掛かった。
MTBが重い。脚も重い。そして何よりも自分が重い。耐えきれず、一番軽いギアに入れた。その瞬間。
「ガチャ!」
という音とともに脚は動かなくなり、MTBが転倒しそうになった。私は焦って脚をついた。
チェーンが外れていた。何年も使っていなかった一番軽いギアは、どうやら機能しないらしい。メンテもろくにしていなかったしなあ。
リフト乗り場までは脚をつかずに上ろうと思っていたが、幸運なことに脚をつく言い訳ができた。私は、坂の右側に広がるゴルフ場のグリーンに避難をした。
チェーンは難なく元に戻すことができた。
リフト乗り場まではあと少し。
おそらく、ほんの百メートルほどだが、ここが最もキツい。斜度が20%近かったはずだ。もはや、脚の力は切れそうだったし、心も折れる寸前。
ホテルまでの激坂を上ろうなどと思った自分に呆れ返っていたが、最低限リフト乗り場までは上らねばならぬ。
私は、右に左にと蛇行を重ねながら、少しずつ高度を上げていった。歩いた方が早いかもしれない。それでも、少しずつ上った。
着いた!
リフト乗り場から見上げると、薄茶色の芝の上には青空が広がっていた。
そして、眼下を見下ろすと、大鰐の街が小さく見えていた。
頂上から見る景色には敵わないが、リフト乗り場から見るそれもまた素晴らしい。
しかし残念ながら、ここから岩木山を望むことはできない。
あと5km、この激坂を上りきらなければ、岩木山を望むことはできないのだ。果たしてそれは、いつのことになるのだろうか。
「左腕のリハビリも大切だけれど、脚と心のリハビリも必要だな、おい」
すぐそばで、変な声が囁いた。
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